深澤の鱗

2009年冬

神奈川の、黒川という駅から近い山の中に連れて行かれた。
入り組んだ単管による仮説住宅というか、プレハブのようなものがいくつか雑多に設置されていて、食堂、寝室、風呂、などがあった。
糸目の、顔の大きな白髪の老齢の男性が待っていた。簡単にその場所のルールなどを聞いて翌日から労働することになった。内容は鳶手元と土工。寮費は食事込で一日3300円。給料は日当8000円。寮費が高いのかどうかも給料が安いのかどうかもわからないまま了解して、その日は寝ることになった。プレハブ小屋に10個くらいの2段ベッドが所狭しと設置されていて、その2段ベッドのうちの片方及び横の小さな隙間が自分の部屋、というルールらしかった。当然、立って過ごすことが出来ない。これに一日3300円かあと思ったが、食事付なのでやはり安いのではないかと最初は思った。思ったというより、自分を納得させた。
バリケードのように乱雑に組まれた鉄パイプの中に風呂があり、一人用の風呂を交代で入るという塩梅だった。さっきまであしたの食べ物もままならない状況だったのでそのくさった環境に不満を覚えるいとまも無かった。ぼくはその人生史上もっとも狭くてもっとも居心地の悪いベッドで、大事故の被害者にでもなったような気分で寝た。
5時に起きて用意された朝食を食べて、鉄パイプなどの資材をトラックに積んだりして、そしてバンに乗って現場に向かった。
硬く大きくなった肉体を持った深澤さんの運転で港のプラントの現場に行った。深澤さんはぼくに尊敬されたいようだったし、ぼくを息子にしたいようだったが、ぼくは深澤さんのどこを見ても美しさを見い出せず、ガスタンクを渦巻く外階段をのぼりながら、〈いっしゅんのぶとうっ〉と心の中でぼやいたりした。深澤さんの一方通行な説教は一日の累計にして6時間を超え、4時間を超えたあたりからぼくは相槌すら打たなくなって、帰りの車では外を眺め続けていたが、終盤、「おれは精液の中の精子の量が少なかったんだ 」 という言葉が耳に入ってきて、それはなんというか深澤さんの総括のように思えた。
子供を持てなかった苦しみを自覚しているところを見ると不憫にも思えたが、それでも、この人の甘えに付き合うのは大変だと、ぼくは優しくはしなかった。
次の週に痛風でまったく動けなくなった深澤さんは山の中のタコ部屋からドロップアウトした。

基本的に無駄遣いします。