男の虚宣


以前書いた川蝉というバンドのワガユージさんが当時のブログにてたしか、自然にからだが動くままに動いて音を出すべき、というようなことを書いていて、たしかにワガさんの演奏はそうであったしそうするべきだと思った節があり、
8月か9月か、ぼくが自分の過去を埋葬しようとnoteを始めてみたのだけれど愛に見つかって、女について書いている部分が愛に傷をつくることになってしまったのでやめることにした。しかしせっかく始めてもったいなかったのでやめる部分にしたのは女に関する部分で、たしかに、そこまで丁寧に埋葬する必要があるだろうかと思うところもあったし実際丁寧ですらなかったし、女に関する部分性的な部分を削除して今後そういったことを書かないと決めてみると自然と『男の虚船』というタイトルが浮かび、ぼく的にとてもしっくりきたどころかかっこいいとすら思えたのでそれをちゃんと小説にしてみて、群像新人文学賞に応募してみようと思ったのだった。
だからここに書かれることはその下書きであったりプロットのためのメモなのであるが、
現場仕事に明け暮れたり飯場の後輩の面倒を見ているあいだにかなり時間が経ってしまって、気付いたらあと約1週間の期限になってしまった。
やらなければならないことが沢山ある中でそれらを一旦保留にして執筆の期間を設けたにも拘わらず、5枚書いては捨て、最初から書き直し5枚書いては捨てというのを繰り返したり、漫画を読んだり映画を観たり小説を読んだりぼーっとしたりしていたらとても時間が経ってしまっていたのだが、先刻、闇金ウシジマくんのフリーターくん編を読んでいてフリーターくんが絶対幸福にならないことがわかると途中で読むのをやめてやっと執筆のペースを掴んだ。
ぼくは死ぬのだろうか。
どうせまともにこれを読む人などいないので本当にただのメモというか随筆として書くのだが2009年から物語は始まって1975年で終わる予定である。その時ぼくは産まれていないから主人公はぼくではないわけだけれど彼に三島由紀夫の首を盗ませるか否かまだ悩んでいる。
なんの話だろう。
2009年にはデコ助と部長が登場して、部長の予知夢によってデコ助はデコ助と名付けられるがこれは簡潔に言うと未来のでこ彦氏への対抗馬として本来店長である人物がある日から部長を名乗り、店員にデコ助という渾名を付けるのであった。

この文章に意図は無い。
寝る前に自分の頭をすっきりさせようとしただけだ。
緩い条件で誰でも文章を公開できるようになった時代だ。爆弾の1つくらい持っていないともはやパンに塗られるマーガリン(notバター)のようになってしまうんだろう。
ぼくは多分暫く死なないと思う。
きょうまた飯場で自殺未遂があったらしい。



上記を書いた後フリーターくん編読み終わったけど救いのある泣ける話だった。、

基本的に無駄遣いします。