『鬱塔』0.23487


虚船(きょせん)から降りた時ぼくの髪は白くなっていた、と気付くまでには30年ほどかかるのだが、とにもかくにも、逆すじの道が一度終わって、時が巡行することになった。髪の白いぼくはまだ生まれていないが、お父酸が、船から降りる。護くんがそれを見つめる。護くんにはまだ知識が無いので、虚船(うつろぶね)のことをキョセンと言ってしまった。しかし、まだ生まれていないぼくもこれからぼくを産む父も、それで納得がいった。たぶん1960年代のことだった。
島に帰った時親父は、ゲバ棒ではなくバールを手に持った。握力ではなく手首の力が重要になってくる、と親父は思った。
なあ、元気かい。おれの声は父親に届かない。ただ、本来の時間では届かないはずの粒子が、お父さんに届いたようだった。
ねえ、元気ですか。
父は以前と同じ日時に性交したが、以前と同じではない性交だったらしかったが、ぼくは以前と殆ど同じように生まれた。生まれてから、色々思い出した。
朝、お父酸と散歩をする。カマキリの卵を見つけたが、その日に持ち帰るのはやめる。外に置いて、次の日に孵化と同時に大雨が振ってカマキリの子供がみんな死ぬからだ。本当に自分のことしか考えていないな、と思う。
幼稚園では以前と同じような習い事をした。サッカーと合気道。以前にやった時よりも集中してみようとして、やっぱり集中するのはやめた。あんまり早く大人の脳を取り戻してしまうとからだがバグを起こして、寧ろ弱くなってしまうような気がしたからだった。
水は意識して少しずつ飲んだ。夕焼けに目を凝らす。ああ、もう少ししたら、小学生になるのか。前には、そう思いながら小学生にはならなかった気がする。小学生になる前に父と離別した。以前と違うことは、父が選別の品を渡してきたことだった。大きな分厚い、鈍色の爪のようなものだった。それがなんだかぼくにはわからなかった。大きく空気を吸った。
小学生になって中学生になって高校生になった。前に生きていた頃、タイムリープをよく夢見て、なるべくそれを現実的に想像してみたりしたけれど、時間を跳躍するのではなく、時間を逆行して、それからまた順行するというのは、なかなかにつらいものだった。しかしやはり、脳と脳以外の肉体というのはかなり密接に繋がっているんだなと思うところがあった。ぼくの心や思考は子供のようになっていた。それは思い込みかもしれない。
夕焼けと朝焼けの時、よく絵を描くようにした。虫を殺さないようになった。なるべく遠くを見るようにした。だいたいのことは、上手くいっているんじゃないかと思った。中学を卒業してすぐ、前と同じように、自転車が撤去されて、夜に自転車預かり所に侵入して、夜なのに、ぼんやりと赤く光っているようなものがふらふらと上から降りてきた。ヒルコだった。捨てられて、流されてきた男だった。やあ、久しぶりだね、と思いながら、ぼくは何も言わずに彼の顔を見た。
「おい、ちょっと、思ってたのと違う状況になっちゃってるみたいだぞ」
その言葉をきいて、右脚の太腿に無数の蟻が走るような感覚があった。二度目のこの時間を過ごしていく中で、初めての大きな不安だった。

基本的に無駄遣いします。