【雑文】本を称賛することができなくなったので雑文【Steps】

まことに手前勝手な理由ですが、引っ越しで本を段ボールにしまってしまったことからおやすみをいただきます。

代わりにといってはなんですが、雑文を一つ。
昔から効率化だの、時短だのいろいろな表現で短い時間の中で何かを行うという点に気が配られていましたが、今では"タイパ"なんて言葉も出ています。この言葉自体を否定したいわけでも、古臭く「今時は…」と言いたいわけでもないんですが、少しだけもったいないように思うことがありまして。

「効率」という言葉は必要以上にもてはやされる言葉だと思ってやまないのです。もちろん、仕事で効率が高ければ目標とする何かしらの数値を実現しやすく、一石二鳥は嬉しい事象であり、苦しいことが続く時間は短ければ短い方が好ましいというのは理解します。ただね、それも時と場合だと思うわけですよ。
なんでもかんでも効率を重視するのであれば、恋愛よりもお見合いの方が時間効率も費用効率も高いわけですし、それを良しとしてきた時代だってあるわけです。これも人の意見だから、何も強制したいわけではないんですが。ただなんかこう、一つの「効率化」というお題目を掲げられてそこに向かった結果が今の状態というのであれば、まだまだ問題は山積みじゃないかとも言いたくなるわけです。

逆に、「無駄」という言葉は必要以上にさげすまれているとも感じています。無駄は減らすものなんて言葉も聞きましたが、無駄が無ければ世に娯楽は生まれず、次の変化を生むための研究だってなされないわけです。私は無駄が好きで好きで。無駄のための効率化ならば受け入れたいとも思うくらい。

こういうことを言うのも、最近、演劇を見ましてね。
この演劇というのが、イギリスの脚本をもとにしたもので2幕に分かれていて、1幕目をまるまる舞台設定に使っているわけでsy。最近の"テンポのいい"話の流れに慣れていた私はとても驚きました。1時間以上使って、今に至るまでの背景とキャラクタの関係性、誰がどういう人なのかがわかるばかりで、お話はちっとも進まない。いや、それは専門家に言わせればそういうものなのかもしれないが、慣れていないこっちからすれば「何も起きてないじゃあないか」となるわけです。
誤解しないでほしいのは演劇自体はこちらも好きだし、その演劇も最終的には大好きだったからそこに文句があるわけではなくて、その時間を意識した時に感じたことなんです。私は1幕を見終えた時に「贅沢な時間」だったと感じていました。

人によっては「トロい」だの「無駄」だの言えるであろう、その時間にです。その無駄が贅沢だと感じちまったんだからしょうがありません。
この文ももしかしたら、まわりくどいと思われるかもしれませんが、その贅沢な時間には人生に対する鬱屈とした気持ちも無ければ、将来に対する不安も無く、さらにはあの鬱陶しい自由もまとわりついてこなかったんです。これが嬉しく、ありがたかくもありました。
私は別に効率を悪者にしたいわけじゃありません。余剰となる時間と金を得るためにはどうしても効率的に要領良く生きることも必要でしょう。これらのことに疎い私としては、なけなしの時間を使って、なけなしの金を使って得た「不自由」や「無駄」に出会ったときに、これらを減らすべきものではなくあまりにも愛おしいと思ってしまったという話です。

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