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東ヨーロッパ弾丸旅 第4弾 🇧🇦🇷🇸編

皆さんこんにちは!!そーまです!!

オランダ留学の締めくくりとして、東ヨーロッパを旅してきました。

約2週間で8カ国を回るというハードスケジュールでしたが、、笑
そんな中でも大いに満足できる旅でした!!

そんな今回は遂に最終回。旅の最後を飾る第4弾としてお送りしていこうと思います!!
最後はボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦セルビア🇷🇸を紹介していきます!!

そんな前回、前々回、前前前回の記事はこちらから↓↓↓

またまたまたまた、今回も多くを語ると記事がボリューミーになり過ぎてしまうため、その国で良かった場所を3つ+α紹介していきます。



ボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦サラエボ

モンテネグロに別れを告げ、バスで次に訪れたのはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ🇧🇦

ボスニア・ヘルツェゴビナには思い入れがあるんよね

10年前の小学6年生の時、1人1ヶ国の国を調べるという授業があった。
みんながメジャーな国を調べている中で、俺は当時2014年のサッカーワールドカップに初出場したボスニア・ヘルツェゴビナを選んだ。
なんか当時からみんなとはちょっと違う道歩いてたんだね笑
その中でサラエボ紛争だったり、ユーゴスラビアという国が昔あったこと、第一次世界大戦がここから始まったことを知った。
まぁ当時は調べて「へぇ〜」って感じで終わったんだけど、小学6年生から10年経った今。22歳の今。俺はそのボスニア・ヘルツェゴビナにいる。
こんなこと誰が想像したか。
まさか俺だってこんな事になるとは、思って無かったよ笑笑
本当にこの国に来れて嬉しい。

そんな思い入れのある国の首都サラエボでも様々な場所を訪れました。

永遠の炎

まず初めに紹介したいのは永遠の炎

これは第二次世界大戦で亡くなった方を追悼するために設置されています。

サラエボに行ったらまずこれを見に行って欲しい。そしてサラエボに別れを告げる時にもここに来てみて欲しい。

絶対に最初と最後でこの炎の重みが変わると思います。

ホテルホリデーとその通り

ここからは紛争や戦争関係についての場所を紹介していきたいと思います。

サラエボには今もなお、サラエボ紛争で残った銃痕がマンションにあったりもします。歩いているとその銃痕のある建物をよく目にします。

銃痕のある建物

そんなサラエボ紛争関連で紹介したいのは、ホテルホリデーとその通りです。

写真に写っている通りはかつて"スナイパー通り"って言われており、サラエボ紛争時はここを通った人は老若男女問わず、スナイパーで狙撃されていました。そして写真に写る黄色いホテルは、そんな紛争時でも営業していた有名なホテルであるホテルホリデーです。現在も営業しています。

ラテン橋

次に紹介したいのはラテン橋です。

ここはあの第一次世界大戦の発端となった場所となります。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者である、フランツ・フェルディナント夫妻がこの橋で暗殺されました。

ラテン橋

ご存知の方も多いお思いますが、ここが"サラエボ事件"の場所です。

ギャラリー11/07/95

更にはギャラリー11/07/95という場所を訪れました。サラエボには紛争・戦争の博物館が多くあるのですが、時間が無かったため、1つだけ博物館を選び、訪れました。

ギャラリー11/07/95

ここは"スレブレニツァ虐殺"といい、ボスニア紛争中に起きたイスラム教徒の大量虐殺について展示されています。虐殺された人数は8000人以上にも及びます。

虐殺された方々の写真

知らない悲惨な事実がまだまだあるなと感じると同時に、これらの事について勉強したいとも思いました。

サラエボのトラム

最後に紹介したいのはサラエボ市内を通るトラムです。

サラエボのトラムは紛争時に破壊されてしまった為、社会主義・共産主義の多くの国から寄与されました。なので未だにその国々の古いトラムが走っており、「動く博物館」なんて言われています。

ちなみに写真に写っている黄色いトラムは平壌🇰🇵から来たトラムです。

私が訪れた2023年6月末は、ほとんどの路線が工事中で、乗るのはもちろんのこと、あまり多くの種類のトラムを見ることが出来なかったので、ちょっと悔しかったです。笑

様々な種類のトラムたち

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サラエボを振り返ってみましたが、いかがだったでしょうか?

やはり重いイメージが付きまとってしまいますが、彼らも私達もこれを受け止め、2度起こらぬように前に進んでいくしか無いのです。

最後に"永遠の炎"をもう一度見てみてください。画像を見ただけでも、最初と最後では少しだけでも重みの変化や感情の変化を感じることは出来たでしょうか?

それでも良い街です。サラエボは。
また来るね!!


セルビア🇷🇸ベオグラード

サラエボからバスで8時間。この旅最後に訪れたのはセルビアの首都ベオグラード🇷🇸

ここはフットボールファンとしては絶対に訪れたかった場所です⚽️

フットボールオタクとして、最後くらいフットボールの話をさせてください!!笑

ヴェチティ・デルビ⚽️

それはヨーロッパで1番危険なダービーマッチのことを指します。

主役となるチームはレッドスター・ベオグラードパルチザン・ベオグラードというチーム。

まずレッドスター・ベオグラード東ヨーロッパで1番成功したクラブとも言われ、UEFAチャンピオンズリーグの前身であるUEFAチャンピオンズカップでも優勝経験のある名門チームです。国内でも強さを誇っており、あの元名古屋グランパスのストイコビッチが所属した事でも知られています。

レッドスターのスタジアム
”スタディオン・ライコ・ミティッチ”

またレッドスターベオグラードのスタジアムに行くと目に入るのが、大きな戦車。2019年に設置されたらしく、90年代にユーゴスラビア戦争で使用された型の戦車だそう。設置当時隣国のクロアチア国内では、クロアチアに対する挑発であるといった声が上がっていたらしく、物議を醸した戦車でもあります。

しかも設置したのはファンらしい、、笑

スタジアム横にある戦車

そんなレッドスターと同じく、ベオグラードに拠点を置くチームがパルチザン・ベオグラードです。先程紹介したレッドスターベオグラードのスタジアムから800m程しか離れていない所にパルチザン・ベオグラードというチームはあります。

国内ではレッドスターと並ぶ強さを誇っており、この2強がセルビアフットボール界では君臨し続けています。最近では浅野拓磨選手が所属していたことでも知られています。

パルチザンのスタジアム
”スタディオン・パルチザーナ”

そんな2クラブが激突する試合が、ベオグラードダービーことヴェチティ・デルビです。

試合当日は発煙筒爆竹がそこら中で燃え鳴り響き、逮捕者・負傷者は日常茶飯事。約25年前には死者も出したことがあります。

これもフットボールの文化の1つなのです。

そんな場所に1フットボールファンとして来れたのは本当に光栄でしたし、今度は試合を見てみたいです!!

ベオグラード要塞

その他にも様々な場所を訪れました!!

皆さんが思うベオグラードのイメージは、まずベオグラード要塞でしょう。ドナウ川とサバ川の交差する場所に位置するここは、ベオグラード市のの誕生地となかったここは、丘の上にそびえ立ち、まさに要塞としての貫禄が垣間見えます。

ベオグラード要塞

現在は公園のようになっており、地元の方や観光客で賑わっていました。

NATO空爆ビル

最後に紹介したいのはNATO空爆ビルです。

1999年のコソボ紛争NATOから爆撃を受けたビルが今でもその形を変えずに残っています。

空爆されたビル

私自身はそのような空爆ビルをベオグラードで2ヶ所見に行ってきました。
空爆を受けたビルの1つには、女性軍人が敬礼する印象的な大きな幕が張られています。

こちらも空爆の被害を受けたビルたち
女性軍人が敬礼する横断幕が印象的

やはり実際に被害を受けたビルを見てみると、言葉が出なくなります。何人が被害を受けたのでしょうか。非常に衝撃的な場所でした。


最後に

今回はボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦セルビア🇷🇸を紹介していきましたが、いかがだったでしょうか??

今回の旅はこれにて終了。皆さんも楽しんでいただけましたか?

今回の東ヨーロッパ弾丸旅はとても学びが多かったと感じています。多くの世界遺産を訪れたり、歴史を学び・触れたり、多くの人と話し自分悩みを話たりと、その上で収穫がとても多い旅でした。

今回も読んでくださり、ありがとうございました。
次回からの投稿も楽しみにしておいてくださいね!!


それではまた地球のどこかで👋🌍


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