専門家だからこそ見えていないこともある


それぞれの業種には専門家と呼ばれる人がいます。
その分野については精通していて詳しいのは当然のことですが、逆に専門的にそればっかりやってるから、見えなくなってしまってることもあると思うんですね。
麻痺しちゃうというか、何がいいんだかよくないんだか客観的に判断できなくなるというか。

音楽でもデザインでも1人で制作に関わる時間が長いと、判断の基準がわからなくなることもあります。
私もレコーディングでは、エンジニアがスタジオにこもってミックスをしている時間は、なるべくスタジオに入らないようにしていました。
ミックス作業の途中は試行錯誤の時間でもあるのですが、ついつい意見したくなることもあるので、口にチャックをして「できました!」の言葉を待つようにしていたのです。
で、出来上がった音に対して修正をお願いするなり客観的な意見を言うようにしていました。

企業でもよくあることですが、消費者からのクレームや意見が商品のウイークポイントを突いてることもあるので、そこに耳を傾けることは大事なことなんですね。
作る側はいいと思っていても、使う側はイマイチと思ってることもあるし、これは美味しい!と思って提供しても反応が薄い時もあります。
そういうズレを修正していくことで、さらにレベルアップしていくことができるので、聞く耳を持つというか、受け入れる度量の大きさは必要ですね。

誰しも自分が作ったものや提供したものが不評だと面白くないじゃないですか。
そこをね、「この良さがわからないヤツがダメなんだ」とか相手のせいにしてしまっては、自分の成長が止まってしまいます。
他人の評価を気にしすぎてもいけないので、そのバランスは難しいんですけど、それも経験を積んで判断の基準を自分なりに構築していくしかないですね。

タイトルにも書いたように、専門的にやっていることは知識も経験も豊富にあることは間違いないんですけど、あまりに過信すると「えっ!」というような見落としや勘違いも起こるので、客観的な意見を言ってくれる側近や信頼できる仲間がいるといいですね。
その人の意見が的を得ていなかったとしても、「なるほどそういう見方もできるのか」とか、「この人がこう見るということは、方向性は間違っていないな」とか参考になりますからね。

あとは否定的な意見の中に真実が隠れていることもありますから、ムッとしたりしないで、一度は受け入れてみるというのは大事ですね。
で、少し時間を置いてそれは違うなと心から思えるのであれば、聞き入れる必要はないということですね。
ここでも最終的な判断は常に「自分」です。
師匠がこう言ったからとか、こっちの意見が多かったからという判断ではありません。
この「一度は受け入れてみる」という姿勢があれば、大きな間違いを犯すということはないでしょう。

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