息子が無職になっていた。
息子が無職になった。
新卒で、中小とはいえ一般企業に就職してくれたときは心から安堵した。
職場は自宅から約2時間かかるので、就職と同時に一人暮らしを始めることになった。夫のススメだった。
一人暮らしをさせる覚悟を、母であるわたしはできていなかった。本人にもあまりないようだった。家事に不慣れな息子でも生活を回せるよう新築のアパートを探し、本人も納得して引っ越した。慣れない仕事と経験不足の家事の両立が可能と思えず不安だったが、誰もが彼の成長を期待した。
アパートは新しくても、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジの3種の神器は業者の提供する中古品で済ませた。
冷蔵庫はあまり冷えなくて冷凍は諦めたと言っていたし、洗濯機は取り付け方が悪くて水洩れを直すところから始めなければならなかった。
それでも彼はなんとか生活を回した。スーツで出勤、作業着を着ることもあったから、そこそこの量の洗濯物が出たはずだがなんとかこなしているようだったし、包丁を振るって調理をし、レシピと共に自慢げに写真を送ってくれたりもした。
本当は毎日でも通いたかった。「ちゃんとやれている」というときの息子が本当にやれている確率の低さを予感した。つまり、信用できなかった。ただ、そんな気持ちからくる過干渉が息子の成長を妨げるのだと律して、信じた。
一年後に訪ねたとき、彼の住まいはゴミが散乱する汚部屋になっていた。ゴミをゴミ箱に捨てることや、動かしたものを元の位置へ戻すことといった単純なことほど、考えなしに後回しにするらしかった。もちろん日常的な掃除もまったくしていない。
3回通って大掃除をした。内1回は夫も車で同行した。エアコンのフィルターやら換気扇やら排水口やら、究極に汚れたところを黙々と清掃し、転がったペットボトルを集めて濯ぎ、溜まったゴミを粛々と集めて持ち帰った。
それでも仕事はきちんとこなしているはずだった。何をした、どこへ行った、という報告もしてくれていた。仕事さえきちんとこなしてくれたらいい。部屋の掃除くらいしてやろう。一人暮らしを応援しよう。わたしたちはそう思っていた。
あれから一年半、この夏、息子は自宅へ戻ってきた。
★ ★ ★
息子の現状を知ったのは、春。住民票を移していなかったのが幸い、というかなんというか、まあ、幸いということで、わたしの手元に市役所から封書が届いた。
「とっくに厚生年金の資格を喪失しているのに、いまだに国民年金加入の手続きをしていないので、ちゃんとやってね」的な内容だった。
――これ、会社やめてるってことだよなぁ。。。
信じたくはなかったけれど、やっぱりな、という気もした。母はかなり鋭いのだ。かなり、でもないか。なにせ年末からこっち、様子を知らせないまま、一度も顔すらみせなかったのだ。
★ ★ ★
すったもんだのあげく、息子は家族が住むこの家に戻ってきた。
戻ってきたとき彼は、汚部屋にこもったせいで肌はただれていたけれど、不思議なくらいフツーだった。妹相手にしゃべってはほがらかに笑い、よく食べ、隙あらば「友達がおごってくれる」とかいって外出もした。
わたしと夫は、複雑な思いを抱えながらも、やっぱりいつも通りに笑い、しゃべり、息子の好物を作り、ただれた肌の手当てをした。
責めたり怒ったりしてもなにひとつ解決しないし、家の雰囲気が悪くなるだけ。退職してしまったものを今さら取返しもつかないし、仕方がない。いつも通りフツーに穏やかな夫からは、そんな空気が漂ってきたけれど、ふと漏らすことが多くなった深いため息からは、相当なダメージが感じられた。
わたしは心中、腹が立って仕方がなかった。だけど怒っても仕方ないし、ほがらかに見える息子の実は深刻なダメージは理解できていたから、つい責めてしまわぬよう、フツーにしていた。
ただただフツーに。不思議なくらいフツーに、家族水入らずで過ごした。
★ ★ ★
9月、息子は介護施設で働き始めた。1日8時間、週4~5日勤務。半年以上もの間社会から離れ、規則正しい生活から遠かったにもかかわらず、初日からきちんと通い続けている。
通い続けているばかりか、初日からずいぶん褒められたり頼られたりしたらしく、半月たった今では仕事の種類も増え、今後に期待する声も聞くらしい。
ほがらかを装いながらもどこか小さく縮こまっているように見えた息子も、仕事を得た途端に本来のほがらかさや逞しさが戻り、仮にもひとり暮らしをした経験から、家事もよく手伝ってくれる。
施設でもすでにみなさんと仲良くやっているようで、あんな話をしたこんなことがあった、そのとき自分はどううまく対応したかということを、生き生きと話してくれる。
そんな彼を見ていると、彼というひとりの人間を「出来の悪い息子」という枠でもって、これまでずっと見誤ってきたのかもしれないと気づいた。
★ ★ ★
子どもの頃から、勉強しなさい、片付けなさいと責めたり怒ったりしても、彼は反抗したり落ち込んだ様子を見せたりしなかった。そんな彼に対して、何を言っても全然こたえないし聞く耳持ってくれない、だからちっとも改善しないと決めつけながら育ててきた気がする。いやたぶんそうに違いない。
今の息子を見ていると、彼は人一倍傷つきやすいのだということや、傷ついた自分に気を遣わせる空気が嫌でいつも笑っているのだということがよくわかる。今ごろになって、よくわかる。
大柄な体格にお人よしな性格、どっしり構えて何らこたえないように見えて実は繊細な神経をもつ息子は、介護施設という場で水を得た魚のように生き生きと働いている。
そもそも、大柄な体でほがらかなオーラを出し笑いはしゃぐ彼は人に安心感を与えるらしく、ごくごく幼い頃から周りの人に懐かれ、好かれるようだった。
彼の学生時代には、担任の先生から「いてくれるだけで教室の雰囲気が和らぐ」と言われたり、部長を務めたときの部活の先生から「1を言えば10やってくれる」と絶賛に近い褒められ方をしたり、バイト先の上司の方からは「すごくよくやってくれてます」と満面の笑顔と言葉をもらったりしていた。そのたび見誤ったままのわたしは「まさかあの子がそんな」的返答をしていたものの、彼の持つ不思議な人望はやっぱり確固としてあるらしく、おかげでわたしまでどこへいっても温かいお声がけをもらっていた。
「優しい息子さん」「いい子に育てたね」などなど、今再び「お母さん」として評価を受け、お声がけをたくさんいただくようになりました。
なんか、やっぱりすごいよ君は。
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