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バジルシードの空しかみえなくても

夕飯の支度をしていたら、急に視界に違和感が生じた。

 左目にだけ前髪がかかったような黒い線が見えている。実際左目にはよく前髪がかかるのでさして気にせず、だけどどうやら髪のしわざでもないらしいし、どうにもうっとおしい思いで食事、というか、わたしにとっての食事であるところの晩酌をすませた。

 ビールを飲み終えても翌日になっても、違和感はそのままだった。いったいなんなのだ、どうなっとるんだ。右目を閉じて左目の見え具合を観察すると、うっすらと白くまんべんなく、極微細な点々が広がる膜がかかっている感じ。極小なカエルの卵を通して見ているみたいだ。0.1にも満たない右目の視力を補ってくれていた0.5程度を誇る左目の視力が奪われたため、たいそう歯がゆいし、経験したことのない視界世界にめまいと吐き気まで感じ、とにかくどうにも、たいへんうっとおしい!!

カエルの卵」で検索してみましたがそのまま出すのもアレか……と躊躇したところで、むしろこっちのが近い、という飲料に遭遇しました。この黒い点をもっと小さくした感じにみえている。――て、引き合いに飲料を出すよりいっそカエルの方が良かったか……?
あくまでこんな印象というだけであって、これほど大きくはっきりと黒い点々が見えるわけではありません念のため。

 以来数日の間、前髪と間違えがちな黒い線や、カエルの卵もしくはバジルシードドリンクもどきの細かい点々を視界にとらえながら過ごした。生活に支障があるほどでもなく、おさまりはしないけれど悪化もしない。寝て起きたら治っていてくれるのではの期待も捨てがたい。ネット検索し出てきた「飛蚊症」により自然治癒の期待はさらに高まる。けれどこれまで経験したことのないうっとおしさに変化は見られず、五日後、ついに眼科へと向かった。

 コンタクト時代にドライアイのせいでしょっちゅう目に傷をつけお世話になっていた眼科の先生に何年かぶりにお目にかかり、あらあ理知的で若々しいたたずまい、お変わりないですね、と心の中で余計な挨拶。目薬による表面麻酔→眼底検査→再び目薬麻酔→詳細な眼底検査とサクサクと診察は進む。やがて告げられた病名、それは

網膜剥離……!?

「聞いたことありますよね」「はい、ありますねぇ」

 脳裏によぎる「殴打」「失明」という物騒なワードにプチ震える。なんでワシがそんなんなるねん、生まれてこのかた寝ぼけた娘にしか殴られたことないのに、あそうだ、体罰全盛期の中学時代はしょっちゅう平手打ちされてたな、いやそれ昔の話すぎるし。

 ぼけーっと妄想しているわたしがショックを受けていると感じたのか、先生はたとえようもない静かさと丁寧さで説明を始めた。

眼球の内側は膜で覆われています。その一部がこのように破れたわけです(手元の紙を破いてみせながら)。

これを放っておくと広がって水が入り、見えなくなってしまう可能性があります(破れた部分の周囲に眼球に見立てた円を描きながら)。

ですからこのように周辺を留めるわけです(円の周りにホッチキスで留める的な線をたくさん書き加えながら)。

 ほうほう、と、眼球およびその内部の網膜になぞらえ破られた紙を見つめるわたしに先生は「ですから手術をですね」と、これまた物騒なワードを加えながら同じ説明を繰り返してのち、「今日これからお時間ありますか」「といっても診察があるのでお待ちいただきますが」と、物静かな発声とフラットな姿勢を保ちながら話を進めた。さすがに目の手術はちょっと怖いので、後日と言われるよりも断然今日がいい。わたしも負けじと静かなトーンで「はいお願いします」と応え、同意書を書き、おとなしく待機。その間に家族にLINEを送りまくる。

「網膜剥離だって」「このあと手術」「レーザーで網膜の周辺留めて広がるのを予防するって」「今日買い物できないかも」

すると家族からソッコー返信がくる。

「こっわ」「無理しないで」「そりゃ大変だ! ちゃんと診てもらってね」「晩御飯買って帰るよ」

 反応が早くてうれしいなあ。みんな優しいなあ。いい家族だなあ。なんてことを考えながら待つこと約1時間、そのときはきた。

 頭が動かないようベルトで固定し、左の眼球にレンズを密着する。消灯された室内は真っ暗だ。なかなかこわいぞ。そもそもこの体勢だけでパニックになる人いるんじゃなかろうかと想像してそわそわするも、「始めます」の号令ののち速やかにバシッバシッとリズミカルにレーザーが発射されはじめた。眼球を直に射られる感触にビビる。しかもその回数が、とっっても多い。まだかまだかと待つのはツライのでなるべく意識をそらそうとするものの、なにせ部位が ! 目だから ! まぶしいから ! なかなか意識がそがれない。まだかなまだかな、まだだろなあ~。

 こちとら大人だ。耐える自信はある。しかし「10分程度」と聞いていたその10分間を耐えなければならないのかと思えば結構キツいレベルだ。先生がときどき「大丈夫ですか」「ちょっと休みます」「これで半分少し超えましたから」などと声をかけてくださるのがありがたく、励みになった。

 手術は10分かからなかったのではなかろうか。術後「227発打ちました」「目の周りを4周です」と報告する先生の声が妙にウキウキと明るく感じられたのは気のせいだろうか。腕に自信がおありなのでしょう。ありがたいことです。聞けばこれで治るとか症状がなくなるというのではないという。手術はあくまでこれ以上の悪化を防ぐ予防的処置であって、今の症状には慣れるしかないのだそう。そっか、これからずっとカエルの卵を見続ける人生か。

 こうしてわたしは網膜剥離を起こした眼球持ちとなった(ちなみに手術費込みの支払い請求額は3万円ちょっとでした。当然持ち合わせはなく、後日確認のための診察時に清算することに)。

 なんか、大丈夫だろうか。オットはこの上なく優しい人として世間から「仙人」認定されているような人だし、実際優しい。決して隠れDVとかではないのだ。同じく優しい人認定されながら学生時代を過ごした息子も家庭内暴力を起こしてはいない。てか同居すらしていない。大丈夫だろうかなんか、網膜剥離って ! 対外的に ! ! ……。

★ ★ ★

 せっかく眼科にかかり手術もしたのに症状は消えず、元に戻ることもないとわかっても、さほどショックを受けずにいられる自分がちょっと奇妙だ。生命保険から手術給付金が出ることもわかったし、むしろやるべきことをやりきった満足感でいっばいだ。なにしろ殴られてなんかいない。スマホの見すぎでもない(たぶん💦)。何の前触れもなく突然こうなってしまったんだから、誰のせいでも何のせいでもない。受け入れるべきわたしの宿命だ。

 40代になってからだろうか、身体のあちこちに不具合が出始めた頃は、老化が原因と言われても「廊下に何が?」と横を見て、加齢のせいですと告げられれば「昨日カレー食べたっけ?」と記憶をまさぐったし、不具合が出る前の自分に戻りたくてあがきもした。そんな「元の自分基準」だった頃に比べると、元の自分は過去のものと心得た50代の現在では、心身の変化はすんなり受け入れられるし、なんなら見たくないものは見なくてすみ、聴きたくないことは聴かずにすむ安らぎがありがたいほどだ。歳を取るとはこういうことなんだとつくづく思う。

 それからもうひとつ得た大切なこと。それは、本気で心配してくれる人がいれば、たいていのことは全然平気でいられる実感だ。眼科の待合室から送ったLINEに即反応し、自分の事のように心配し応援してくれた家族の言葉で、あのときわたしは自分が背負った不安が一気に軽減していく心地よさを味わった。自分の痛みは自分一人で背負わなくてもいいものなんだと理解できた瞬間だったが、同時に、実家問題に悩みながら生きてきたわたしは反省を強いられることにもなった。

 わたしは実家をただただ目の敵にして生きてきたのではないだろうか。不幸続きに見える実家とそこに住まう血縁者のことを、心配しているという言葉で突き放してきたのではなかっただろうか。必要だったのは、自分の事ととして寄り添う気持ちを持つことだけだったのではないだろうか。

辛いね、不安だよね、ありがとう、ごめんね、と

心からの言葉で伝えること。結婚して作った家族にできうることが、なぜ実家の血縁者にはできないのだろうか。これからできるものだろうか。するべきだろうか。わからない。なぜわからないのだろう。こうなると出口のないループだ。太宰治になった気分だ。

 いいこともわるいことも、原因はすべて自分の中にある。それは知っているつもりだ。それをどうこなして生きていくのか、どうすれば納得のいくルートを歩み、それなりに満足する人生の終着点に行きつけるのか。これからも模索していくわけだけれど、網膜剥離を得た今、もしかするとこれまでよりかはそのルートを見つけやすくなっていると期待してみたい。

 わたしはきれいだと思う空はすぐに撮って保存する。Googleフォトには「空」というタイトルのアルバムが作ってあって、色鮮やかな空たちが大量に保管されている。網膜剥離による黒い点々は、明るい自然光の中でより鮮明に見えている。これからは、澄んだ青い空であればあるほど黒い点々が混じって見えるんだろう。それだけは、ちょっと残念かもしれない。

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★自分のためのメモ★ 2021年4月19日夕方、夕飯の支度中突然発症。

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