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不自由という自由の中に生きるボク

好きなものにのめり込めばのめり込むほど、『こだわり』という枷に囚われてしまう。

ついこの間までボク自身も囚われていて、SIGMAfpに出会うことで目に見えない枷から解放された。

そんな枷がなくなった時、ボクは不自由という自由があることを知った。


ボクのメインカメラは不自由が盛り沢山なカメラ

ボクが今、メインで使っているカメラはSIGMAfp。
正直にSIGMAfpは不自由が満載なカメラ。

これはみんなが言ってるけど、SIGMAfpのAFはとっても遅い。そしてよく迷う。
ボクは結構早いタイミングでMFに切り替えてしまう。

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単焦点しか使わない

ボクはソニーのSEL2470GMという高級レンズを持ってるけど、使っているのは単焦点レンズばかり。

単焦点レンズはズームができないから自分が動かないといけないレンズ。正直ちょっとめんどくさい。


3ヶ月前に自由を放棄したボク

ボクは望んで不自由になった。

SIGMAfpを1月下旬に購入してあえて不自由な世界に飛び込んだ。超高性能でこれまで使ってきたソニーα7R3の出番は正直少なくなった。

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『不自由さが…いい刺激になったりする』

ボクは正直あまり聞いたことないけど、すごく才能を持った人だと思っている坂本龍一さんがこう言っていた。

クライアントとの関係性の中で音楽を作ることは制約が多くとても不自由なことのように思えるけど、不自由の中で音楽制作するからこそ、過去の自分にはなかった新しいものが作れるらしい。


ボクはそれを高性能に置き換えてみた

坂本龍一さんが自由な環境ではなくあえて不自由な環境に身を置いていることを、ボクはカメラでは高性能なことに置き換えてみた。

ソニーのカメラは高性能でいつどんな時も最高の成果を発揮してくれる。
まさに『一瞬を逃さない』カメラだと思ってる。

でもそこから出てくる写真は、過去の自分を超えられないモヤモヤが詰まった苦しい写真だったことが多い。

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自由な旅から不自由な旅へ

自由に撮影していた頃は『新しい自分探し』の旅に迷走していた。
例えるなら車に乗ってどこに旅しようか悩んでいる感じ。

今は例えるなら電車にしか乗れない旅に出る感じ。
行き先は電車が連れて行ってくれるところしか選べない。時間は電車任せ。

でも電車が連れて行ってくれたところで精一杯旅を楽しむように、ボクもfpが撮れる範囲の中で精一杯撮影を楽しんでる。

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不自由の中で見えてきた自分

制約の多い不自由な中で撮影をしていると見えてきたものがたくさんある。

以前はこんな写真も撮れるはず、こんな表現もできるはず、と自分の可能性を探り広げる思考だったけど、不自由な中ではfpで撮れるものしか撮らない。(あたりまえだけど)

fpで撮った写真を見返すとボクの内側が見えてくる気がする。

そして新しい表現も好きになっていた。

不自由なカメラSIGMAfpを使うことでボクはボク2.0になることができた。


自由を求めて高性能機を追い求めてきたけど、それが枷になって自由が奪われていた

先の坂本龍一さんも記事の中で言っていたけど、ボクには個性がない。

建築設計の仕事をしているからまがいなりにも表現者の一端をになっているけど、実はボクにはウチから湧き出るような個性はない。
だからボクはこれまでの経験と今置かれている環境で、ボクが生み出すことができるものを創ってる。

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今のボクは新しいボクになれた気がする。
それは全てボクが自由を手放したからだと思う。


個性を持たないボクが、不自由の中でどんな写真表現ができるのか。
一番楽しみにしているのはボク自身なんだ。


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