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私は誰としてそこにいて、誰として関わろうとしてるのか

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まさこさん、じゅんちゃんと三人で、ショート動画の作成ファンクションのミーティングをやりました。

そこでエクスプレッションする機会があり
学びがあったので記録しておきます。

ももこのエクスプレッションとしてはだいたいこんな感じ↓

私は二人を先輩として上に見てて、
そこに同列に並んでファンクションさせてもらうのはおこがましい感覚がある。
私は映画「終わらない愛」の翻訳と字幕入れに少しだけ関わらせてもらったが、一本のシーンだけでも非常に深く、圧倒されたのに、何本もそれを撮影から通しで深くコミットし続け、さらにあらゆるファンクションに献身し続けている二人の経験と赦しを感じるとすごすぎて言葉にならない。
ここにポッと出の私が関わって、対等に口を利くことなんか恐れ多い感覚がある。二人と関わることに躊躇がある…恐怖、自己卑下、恥の感覚、私の無意識に隠している何かが見抜かれ、バレてしまうような感覚がある…などなど

さらに、「今何を感じてる?」というじゅんちゃんからの声掛けで深く入っていき

表面的な「恐れ多い」の奥にあるものを感じていくと…

突然なにかの知覚が変わる感覚がありました。

「私は、『ももこ』としてこのファンクションに関わり、『ももこ』として、二人と関わろうとしていた」

という閃きみたいな感覚がきて

気が抜けて笑ってしまった。。

神の子としてこのファンクションに関わりたい
神の子として兄弟たちと関わりたい

この目的(願望)を、はっきり意識しないままで
キャラももこ個人として兄弟と関わるのは
やめていきたい


一歩ずつ
空っぽになっていきたい

私は誰か
私は本当は誰か

私は誰としてそこにいて
誰としてこれに関わろうとしているのか

ももこは消えていくものだし
ももこは消えていっていい
ももこである、という個人の感覚を握りしめているのは
もうしんどいし
完全に的はずれな感じ

私はももこではない

私の正体はももこではないし
私の正体は人間ではない

私は神に造られたままの私であり
個別の肉体に閉じ込められていない

私のアイデンティティはももことはなんの関係もない

このらくちんな軽さ
よろこびを
ことあるごとに思い出します…🫶


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