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AmazonPrime解約運動はなぜ失敗したのか

Twitter上の社会運動が日本社会に大きく影響を及ぼし、何かを変革させた例があるだろうか。
保育園落ちた日本死ね、KuToo、検察庁法、普天間基地移設…
安保法案ですら結果的に何にもならなかった。
なぜTwitterの社会運動、は結果に結びつかないのか。
今度のAmazonPrime解約運動を例にとり、自分なりの見解を述べる。

AmazonPrime解約運動とは

事の発端は、AmazonPrimeのCMにある。

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上記CMの1シーンに登場する女性「国際政治学者 三浦瑠麗氏」が日本に徴兵制が必要であると主張しているから、こんな人間を起用するAmazonは解約しようという流れである。

社会運動を完遂させるには

運動を大規模なものに発展させ、正に社会や世論を伴った社会運動へするには

1 . Amazonへの抗議意識の醸造
2 . 実際にAmazonの利益を脅かす脅威の手段提示
  (→デモ、大規模不買運動の実行の確約)
3. 政治的・経済的影響力を持つ人間や組織による後ろ盾の確保

の三つが必要なのだが、SNS発信の運動はどうも「意識の醸造」のみを用いて、多大なエネルギーを必要とする社会運動をしようとする。しかも途中で「した気になってしまう」ために、完遂に至らずすぐ鎮火状態へとなってしまう。数時間以下の一時的な感情など、殆どの人間はすぐさま忘却してしまう。

要するに仕掛け人や声を上げる人間に熱意が足りないのだ。

そもそも抗議理由が弱い

今回のAmazonPrime解約運動失敗の原因はこれである。
まず、仕掛け人や声を上げる人はCMを見て、出演タレントが嫌いで、尤もらしい理由をつけて「#Amazonプライム解約運動」等とハッシュタグを作りツイートした。
この「尤もらしい理由」が筋が通っており、社会的大多数に支持されるものであれば、Amazonへの抗議意識の醸造は成功するだろう。しかし、

・出演者は知名度が低く好かれても嫌われてもいない
・AmazonのCMに問題があるのではなく、タレントの思想が論点
 (→なぜ抗議するのか直感的に分かりづらく共感が得られない)
・ユーザーにとりPrime契約の実利の方が大きく、上記は解約に至る理由とはならない。

等の理由から、「言いがかりでは?」「くだらない」といった意見がTwitter上でも散見されてしまっている。

声を上げている彼らは、Amazonという看板を仰々しく利用することにより、三浦瑠麗氏の社会的信用を失墜させることが目的でしかない。

始めに声を上げた時点で理由が浅いため、後から追従して声を上げる人達のツイートも総じて浅はかである。これではとても社会運動になりはしない。

抗議運動のゴールが不明瞭

更に今回のAmazon Prime解約騒動で言うと、運動の先にあるゴールが不明瞭である。謝罪か?年会費引き下げか?それともCM中止程度?

恐らく謝罪をしたところで「そんなもので気が済むか!Amazonは一生使わない!」等と宣う者が出てくる。
そうすると、「謝罪で充分だ」と考える人間達は「じゃあ何をAmazonに求めているの?」と疑問を抱き、抗議側の人間内で内部分裂が生じる。

これは、抗議の仕方やどういった抗議運動を展開するかの程度も統一されていないので全体として強い言葉や態度で臨めず、後出の音頭を取りたがる人間が乱立し、自分らを鼓舞することもできず、すぐ弱体化し風化してしまうといった具合だ。

更に風化や鎮火によって「Amazon解約運動 = 結果何にもならない = 社会運動はダサい」といった社会的認識が上塗りされる。つまり最終的な結果として今回のAmazonPrime解約運動で結果は何ももたらされなかったし、後に残るものもない。(強いて言えば件のタレントの仕事が減るくらいだろうか)

どうすれば社会運動として成功するか

まず、抗議運動は刺し違えるほどの覚悟と熱意、もしくは刺されたという事実がなければ、賛同者が集まらず成功することはない。

特に実害を受けてもいないのに、「タレントが嫌いだから」といった理由で「Amazon」という理由とは乖離した仰々しく目の引く看板を引っさげればTwitterで一大運動に発展するなどという考えは甘い。

そんなもので付いてくる声も、ツイート数も、すべて虚像であり、数時間であっという間に忘れられてしまう。

いつかTwitter上で大変話題になったカネカの転勤騒動を覚えているだろうか?
あれは言わば「刺された」という事実があって、ツイートが行われたためにそこに悪意や恣意的な理由は見えず、誰もが賛同できる内容であったため、一大運動へと発展した。

しかし、その後のカネカの公式発表によると「転勤の指示は問題が無い」というものであり、社の対応含め結局は何も変わる事はなかった。
(カネカは被害者とされている社員側にも問題があったという説は、別の話であるためこの場では触れない)

Amazonに抗議を行う大義名分が日本社会の、ほんの一部分の賛同でも得られるものであったなら、しっかりと音頭をとる人間や組織を据え、疑問を抱く人間にはAmazonの問題点を懇懇と説き、人を増やした上で、政治家や資本家といった影響力のある人間を抱き込み、Amazonに大きな実害を及ぼすような運動を仕掛ける。こういったことができたはずだ。

結論

抗議理由が浅いために、賛同されなかったため失敗に終わった。

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