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第56葉, 脚色とか 漂白とか

先日 とあるライブの最中、ストーブの匂いを感じ取れました。燃え出した ストーブの芯の匂いに、郷愁をおぼえた yasu59 です。よしなに。

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色を取り戻すしか、ないと思う。

社会は、世間は、人様は 脱色しようとしてくる。
科学は、論理は、経済は 漂白しようとしてくる。

国粋主義に 走りたくもなる。
しかし、脚色をしてはいけない。

確かに あなたは、あなたしか居ないし、あなたでしかない。
でも、アイデンティティなるものをコトバで表現しようとした途端に
脱色や脚色が始まり、また 漂白の的となる。

具体も抽象も、論理も科学も 一時が万事 当てにはならない。

観る方向、誰が観るか、どのタイミングで観るか、どういう心境で観るか、どういった過程を経て 観るか、誰と観るか、直前に誰を観たか、観るのは何回目か、いつぶりに観るか…

色は変わる。
だから、誰も 何も どうやったって 色を固定させてはいけない。
何より、できない。

できるのは、ただ 濁らせないようにすることだけ。
だと思う

恃めるのは
布だ
椅子だ
風呂だ
皿だ
靴だ
本だ
風景だ

そうやって 折ふし、暮らしの一々で 色を刻むのだ。

ー筆おきー


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