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【福岡ミニコラム】博多祗園山笠で黒田家の新当主がお披露目という時代

博多祇園山笠の期間中、7月13日に「集団山見せ」という重要行事がある。

流(ながれ)と呼ばれる博多各地区の山笠に福岡の地名士を乗せ、この日は中洲の西中島橋を超えて天神地区に入り、福岡市役所の近くまで山笠を披露するというもので、この集団山見せのメンバー(台上がり)に選ばれることは、福岡の政財界関係者では一種のステータスになっている。
毎年7月の初めごろに発表され、多少地元政財界の内情を知っている福岡のひねくれ者が、選ばれた理由を推測しながらメンバーのリストを眺めるのも年中行事となってる。

ご多分に漏れず自分も集団山見せで台上がりする地名士が発表されると必ず目を通すのだけど、今年は中洲流に意外な地名士の名前が載っていた。

四番山笠・中洲流
【表】副田直一郎(総務)、黒田裕大(筑前 福岡藩 黒田家 第十七代)、平田泰彦(福岡市医師会 会長)
【見送り】山肩政剛(副総務)、江﨑信友(㈱九州博報堂 代表取締役社長)、津田信太郎(福岡市議会議員)

2023年07月03日「集団山見せ」で台上がりする知名士28人が発表となりました-山笠ナビ-より

家督を継いだばかりの黒田家の新当主である。

現在の黒田家の当主は十六代の黒田長高公で、十七代目に家督を譲った話は公式には発表されていない(筈)。長高公の一人娘である黒田絢子氏が一昨年ICU時代の同級生と結婚されたという話は公表されていたが、お相手の黒田裕大氏が婿養子として家督を継ぐことになり、今年の集団山見せで福岡の政財界関係者に初お披露目という流れになったのだろう。

福岡以外の人からすると「山笠は福岡の祭りだから昔の藩主が参加しても別に変じゃないのでは」と思うかもしれないけど、福岡市は江戸時代から商人の町である博多と城下町の天神地区で文化が異なっており、山笠は黒田家が福岡を拝領するはるか前から行われていた博多内の伝統文化なのである
1732年に発生した享保の飢饉以降は博多の再興と管理強化のため藩から助成金を出したり時の藩主が見物(上覧)するなどの接点はあったが、基本的に他所から来た黒田藩にとって山笠は違う文化圏の催し物という感覚だった。
播磨あたりにルーツがある黒田藩の武家にとって、全裸に近い格好で派手な神輿を担いで大声で走り回る博多の文化に抵抗を感じていた…ということもあったのかもしれない(あくまでも推測)。

市名を福岡市にするか博多市にするかで当時の市議会が紛糾するなど、明治に入ってからも両地区の文化的隔たりは残り続け、山笠が博多から旧城下町である天神地区に堂々と入るようになったのは集団山見せが初めて行われた1962年から(福岡市が観光目的で依頼した)、これまた博多のお祭りであるどんたくに、黒田家の十五代当主である故・黒田長久公が初参加して地元でニュースになったのは21世紀に入った2003年だった。

実は黒田家の当主が集団山見せで台上がりしたのは今回が初めてではなく、十六代の長高公が2014年に千代流に参加して以来で、前述の通り集団山見せは戦後から始まった比較的新しい行事なので極端に特別視することではないのかもしれないけど、「黒田家の新当主が地元でお披露目される」という特別な舞台に山笠が選ばれたというのは色々と隔世の感があるなと。

参考
福岡市博物館:博多祇園山笠展18−藩主と家族の山笠上覧−
山笠ナビ:集団山見せ(しゅうだんやまみせ)
一般社団法人藤香会:
藤香会だより 第30号
藤香会だより 第31号
長髙様、集団山見せで台上がり(2014年7月14日)


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