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韓国映画が面白い

 今更ながらなのだが、ここの所韓国映画を見ている。面白い。
 大体、私は、何にしても流行に乗ることができない。というか、世の中のことを良く知らない。一応都会に住んでいるが、一人で散歩ばかりするような毎日を送っているからだろう。

 特にヤクザものだ。
 今日は、『楽園の夜』を見たが、続けて2回見てしまったし、ラストでヒロインが闘うシーンは10回くらい繰り返した。
 北野武の影響があるななどとも思うが、これはやはりこれならではの独自性がある。しかし、その独自性は一言で明言できるようなものではない。何故か。
 それは、シーンの描写やカット割や会話や俳優の演技に暗黙的に埋め込まれているからだ。ある意味で、些細な所にあるのだ。だがそこには、彼の国の歴史や文化といった大きなものも含まれているだろう。

 で、良く耳に入ってくる話として、今は韓国映画が隆盛していて日本映画は衰退しているそうだが、それは、社会状況が違うからではないのかと思う。
 おそらく、映画というのは、かなり公共性の高いメディアで、だから、映画が盛んに見られ、作られるのは、その社会に公共性が強く存在しているからなのではないか。皆んなが映画を見、映画が作られることを皆んなが望んでおり、皆んながその映画の内容に共感する。そこはそういう社会なのではないか。
 そして、日本にも、かつてそういう社会であった時代があったと思う。戦後から1970年代まで。深作欣二が活躍していた。
 あの時代が帰って来ることはない。今はアニメの時代なのだろう。では、アニメの時代の社会とはどのようなものなのか。既に様々な分析が溢れてはいる。あの時代と今が異なっているのは分かりきったことだ。
 だが、或る一つの持続性を持った私には、その違いを明らかに言うのは難しい。白髪が増えた。そうした変化と同様のものに、社会のそれも見えざるを得ないのだ。
 

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