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【夢日記】謝恩会と淀んだ海水の臭い

ぼくは卒業制作として、短い動画を十本ほど創作し終えている。われながら、なかなか良い出来だと思う。どちらかと云えばモダンアートみたような仕上がりで、丁度、抽象画の画風はそのままに動画に仕立てたような作風である。兎に角、これまでにない会心の出来栄えであって味わったことのないほどの充実感を覚える。

そのとき、講師が教室に這入って来て、これから謝恩会(?)にみんなで出かけるのだと云う。講師によれば洒落たカッフェかレストランか、そんなような処で立食形式のパーティーをするのだとか云うことだ。

丸眼鏡をかけた太っちょの学生が挙手する。詰め襟が腹の辺りでいまにもはち切れそうな肥満体の学生である。

「先生、ぼくはモウ行かねばならないのですから、みなさんとは最初の乾杯だけでお暇してもよろしいでしょうか」

しかし、教室内は講師も学生も無言である。重苦しい沈黙に質問が黙殺された後、一同はバスに乗り込んで謝恩会の会場まで運ばれて行く。車内でも誰も口を開かない。ぼくも、違和感を覚えつつ、何も話さないまま会場で降ろされる。

会場には鯨幕が張られていて、「✕✕家」と白い提灯に薄墨で書かれたのがあちこちにかかっている。「しまった」とぼくは気がつく。卒業の謝恩会に来たというのに、香典の持ち合わせがないじゃないか。

仕方なく、ぼくは近場のコンビニを探して這入り、大学受験生向けの数学の月刊雑誌を立ち読みしてから、カレーパンを一ツ、店番の小僧に云いつけて買うことにした。カレーパンを食べるのだから、香典くらい無くとも、さだめし会場にも入れてくれることだろう。

しかし、店番の小僧はぼくにはチョット信じられないことを云い出す。店内で手作りと書かれてあるにもかかわらず、この店にあるきょうのカレーパンは実は手作りでないのだとか云うことだ。何とか頼み込んで小僧に作らせようとするも、「きょうはできません。ドウしてもきょうというきょうだけはいけないのです」の一点張り。

頭に来たので、レジ台を一ツどんと平手で叩いて、「それならばモウ結構。君、なら、そこの出来合いのを一ツよこし給え」と云って、紙幣を一枚出す。すると釣り銭が返ってくるのだが、それがあまり汚らしいものだから、二度と来るものかと云う心持ちになって、ムシャムシャとカレーパンを喰ってから、ぼくは式場に戻る。

式場までの道のりはしとしとと雨が降っていて、何処からかショパンのノクタアン九番が聞こえてくる。ふだんは雨が嫌いなのだが、このときだけは心地よく感ずる。

案の定、会場にはすんなりと入れてもらえる。

「✕✕家」と書かれてある提灯のぶら下がった鯨幕の奥には、丁度、真正面に白黒の写真が掲げてあって、それは先程「乾杯だけでお暇する」と云っていた丸眼鏡の顔である。嗚呼、奴もモウすぐ行かねばならないのだな。

✕✕君の写真の横には、ウサギか何かの形をしたぬいぐるみがあって、級友たちがそれと写真を取っている。ぬいぐるみの腹は赤い糸で出鱈目に縫い付けてある。当然、腹には米粒とぼくら級友の爪だの髪の毛だのが這入っている。側の台には出刃包丁みたようなのが置かれてあるのだから、後で今度亡くなった✕✕君とみんなでかくれんぼでもして遊ぼうと云う趣向なのだろう。ぼくは心密かに楽しみにしている。

謝恩会は、✕✕君の写真を前にして、ウッディで落ち着いたカッフェで開かれる。

みんなで✕✕君の写真に向かって乾杯してバンザイを三唱した後、丸い、プラスチックか何かでできた皿に、大きな白身魚の切り身が載せられた寿司が一貫ずつ運ばれて来る。切り身の表面は乾きかけていて、お世辞にも旨そうではない。

ぼくは隣の席の学生に倣って、皿に載せられた「御清め塩」という小袋を破って、皿にあけ、右手につまんで額の辺りまで持っていってから、ぱらぱらと切り身にかける。それから、合掌し、寿司を口に運ぶ。生臭い。子どもの頃に住んでいた港町の、藻が浮かんだテトラポッドの隙間に淀んだ海水の臭いを思い出す。

ふと携帯電話を見ると、妙な筋が画面にあって、液晶から妙な汁が漏れ出している。それは汚らしい緑がった粒々を含む水である。ドウモ、寿司が生臭いように感じたのは、切り身の所為ではなくて、この水らしい。舎利の米もたぶんこの水で炊いてあるのかもしれない。



…と、妙に得心したところで目が醒めた。

外はしとしとした雨ではなくして、相変わらず、一面の雪景色である。故郷の北国を思い起こさせる懐かしい景色のような気もするが、この土地では十年ぶり近くの珍しい光景であり、戸惑うほかない。

夜な夜な文字の海に漕ぎ出すための船賃に活用させていただきます。そしてきっと船旅で得たものを、またここにご披露いたしましょう。