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短編小説 「天使のことわり」


空から地上を見つめることは、僕にとって日常の一部だ。人々の顔は小さく、彼らの営みは遠く霞んで見えるが、その心はまるで手のひらに載せた小石のように感じ取れる。僕は天使、人間界の不遇な人々に希望の光をもたらすために派遣された存在だ。

だが、この日はいつもと違った。

まるで呼び声に導かれるように、悠久の間へと足を運んだ。この場所は時が停まり、永遠が一瞬に凝縮される空間であった。光がすべてを覆い、静寂が支配する中、足音一つ響かせずに大天使が現れた。大天使の姿は壮麗で、翼は朝日を浴びてきらめく金色に輝いていた。

「来たね」と大天使は声をかけた。その声は温かく、ありとあらゆる存在を包み込むようだった。

「なにかありましたか?」と、僕が聞くと、大天使は僕の後ろの方に視線を送り手招きをした。振り返ると、頭のてっぺんからつま先まで紫の悪魔が宙に浮きながら近づいてきた。

額に汗があふれ胸の鼓動が速まり、目の前がすこし歪んだ。「なにかしましたか?」と、聞くと、悪魔が僕の背中を軽く叩いた。大天使はニッコリと笑って、人差し指を立てて振った。なんの安心にも繋がらない、悪魔と大天使の行動に鼓動が大きく波うった。

「早速のほうがよいね。天使、君は悪魔と人間界に降り立って、悪魔から『ことわり』を学びなさい」と、大天使は言い残して煙のように消えた。悪魔が笑顔で僕の頭を優しく撫でられ、不思議と落ち着いたが、胸の奥にあるドロっとしたものが波紋を作った。悪魔から『ことわり』を教わる?悪魔から悪魔ーー

悪魔がパンっと手を叩いた。「さてさて、行こうか!」と、悪魔は地面に手をかざした。すると、大きな正円が現れ、人間界に落ちはじめた。腑に落ちない。
ものの数秒で、人間界に到着した。悪魔がパンっと手を叩いて「恨まれたくないから言うけど、僕ら悪魔は『ことわり』を理解してるが、君たちは半々といったところだ。だから、僕が君といる。さっそくだけど、『ことわり』とやらを見せてくれ」と、悪魔は天使にも負けない笑顔で憎たらしく言った。

すぐにわからせてやる。

さっそく、『ことわり』を見せつけるチャンスが巡ってきた。お年寄りの爺さんが道路に飛び出して車に轢かれそうになってる。時が圧縮され、周りが暗くなり、爺さんと車だけがはっきりとした色を持っていた。すぐさま、爺さんを抱えて近くの公園に移動した。悪魔の顔を伺うと腹が立つほどの笑顔だった。笑顔は相手を笑顔にするというが、腹も立たせるようだ。

「ご不満ですか?」と、僕が問うと、悪魔の笑顔を消え、その顔は僕に安心感を与えてくれた。
「なかなかいい『ことわり』だった。だが、まだ足りない」と、ふたたび腹の立つ笑顔を見せた。僕を悪魔にしたいのか?それなら上等だ、僕は悪魔なんかにならない。今度はマンションのベランダを乗り越え、落ちている子供を助けた。

「これでいいですか?」と、悪魔の顔を見て言うと、手を叩いて笑っていた。まさに悪魔の所業だな。今回のは紛れもない『ことわり』だ。文句があるわけない、なのになんだその反応は。

「次は君の一生でも捧げたらどうだ?」と、悪魔はうすら笑みを浮かべた。胸の奥にあるドロっとしたものが、ねじれた柱のように形をつくった。

「次に『ことわり』をする時は君の羽根をいただく。事の大きさによっていただく羽根の枚数を決める」と、悪魔の表情が消えた。悪魔にふさわしい表情だ。一緒そのままでいてくれ。

悪魔の言葉は気にせず、僕は次々に『ことわり』見せていった。

悪魔はいつも笑顔を浮かべながら、僕を見ていた。気にならないようにしていたが、悪魔の笑顔は天使の僕でさえ気味悪く見える。ある程度、事をすませると悪魔と僕は悠久の間に戻ってきた。大天使が僕たちを出迎え、大天使の顔には悪魔と同じ薄気味悪い笑顔が浮かんでいた。

「帰ったね。それじゃあ、受け取ろうかな」と、大天使は悪魔に手を差し出した。悪魔は四本の羽根を手渡した。(あと二本を抜かれていたら)

「僕は悪魔なんかになりたくありません」と、僕は心のなかのものを吐き出した。

大天使と悪魔は腹を抱えて大笑いした。

「安心してね、天使は天使だから。ただ、この羽根は返すわけにはいかないけどね」と、大天使は言った。

「さて、悪魔、基準はなにかな?」と、大天使は悪魔にニッコリと微笑んだ。

「青年二本、老人一本、子供三人で一本です」と、悪魔は指で数えながら言った。「俺は子供が嫌いだから三人で一本だ」

「まぁ、悪くないね。天使、もし私がこれから『ことわり』に支払いを求めるとしたら、悪魔が抜き取った分の羽根を要求するよ」と、大天使の口元は笑っていたが、目は笑ってなかった。
「無償のはずでは?」と、僕は不満みえみえに言った。
「そのとおりだね。だけどね『ことわり』を行った君には支払いを要求できるんだ」と大天使は言った。「悪魔はみんなそれを承知してる。けどね、半分の天使がそのことを教えないとわからないんだ。天使はお花畑なんだろうね」大天使の目から光が消えた。

それからしばらく経ったある日、陸から数十キロ離れた太平洋で漁船が荒波にもまれて沈没しかけていた。数人の漁師たちが溺れかけているのが見え、僕はお年寄りを一人救った。




時間を割いてくれてありがとうございました。

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