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松任谷正隆になりたい

 人には誰しも憧れの文体があるのではないだろうか。
 私の場合は、間違いなく松任谷正隆だ。
 東海林さだお、ナンシー関、松任谷正隆、これが私の文体三大聖人。

松任谷

 それにしても、東海林さだお、ナンシー関、松任谷正隆の文章は何でこんなに面白いのだろう。軽妙洒脱という表現ではくくれない味わいがある。着眼点のユニークさ、洞察力の鋭さはもちろんあるのだろうが、文章運びの技巧の秀逸さがあってこそ、観察眼が生かされているようにも思う。共通点はあるのか、それともないのか。文学の専門家ではない私には結論は出ないのだけど、それでもふと分析してしまう。

東海林さだお、ナンシー関、松任谷正隆に共通するものがあるとすれば

 もし共通点があるとするならば、一つには、3人ともに本業が物書きではないということ。東海林さだおは毎日新聞に連載されていた「アサッテ君」で知られる漫画家だし、2002年に急逝したナンシー関は消しゴム版画家、松任谷正隆は音楽家だ。文中での喜怒哀楽の転調あり、ですます・であるの混在ありと、文章が自由な感じがするのはそのためであろうか。
 さらにいえば、東海時さだおは食べ物、ナンシー関は芸能人の顔面、松任谷正隆は車というテーマを持っていて、そのなかの割と重箱の隅を突いたような小さなことを絶妙な視点でもって、あーだこーだと著述するスタイルも似通っている。
 もひとつおまけに挙げるならば、妙にウエットなところがない。例えば、人と人との繋がりの大切さとか、人の役に立てることの喜びとか、人と人が支え合って人という文字になるとか、そういったハートウォームなところに落としどころを持っていこうとしないところも似ているといえなくもないだろう。

東海林

文体で読ませる力技

 文体とは恐ろしいもので、例えば、世界を旅して各地で現地の人と触れ合った希少な経験談とか、目の前にある小さな幸せの大切さに気づいた話も確かに素晴らしいのだが、それよりも愛車のラジエーターに納豆をこぽした松任谷正隆の話の方にグイグイと引き込まれて、感動すら覚えることがある。
 我が家には毎月JAFから会報雑が届くのだが、松任谷正隆の車についての連載エッセイは毎回何度も読み込んで、特に気に入った部分はノートに書き留めている。そうしているうちに松任谷正隆の文体が私に乗り移ってこないかなと思っている次第です。

ナンシー

※今回、勝手に先生方の似顔絵描いちゃいました。しかも東海林さだおさんとナンシー関さんはご自身が描いた自画像をベースにした似顔絵という暴挙。気持ちが入りすぎたのか、思った以上に似てしまって、肖像権とか大丈夫かなとドキドキ。きっと誰も見ないから大丈夫(と自分に言い聞かせてアップしました)。独り言だと思って見逃してください。

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