備前焼に見る、量産型ザク的なものを作るよしあし

岡山県に備前焼という焼き物があります。土の味わいが特徴で、お酒(日本酒)好きの人だと「これで飲むとおいしい!」という人も少なくない器です。一応岡山生まれなので桃と同程度には興味をもっておこうと思っていたのですが、最近少しびっくりしたことがあります。

備前焼というと「土の質感」が特徴の焼き物で備前焼は「釉薬をかけない」のが普通です。

備前焼は、釉薬をかけず、裸のまま、約2週間前後1200度以上の高温で焼き締めるため、強度が他の焼き物に比べると高いレベルにあります。

岡山県備前焼陶友会のサイトより

が、たまたま備前焼と箱に書いてあるけど「表面がうすーくコーディング」されている不思議な焼き物を入手しました。手で触った瞬間に「あれ?似たようなテイストの別の焼き物??」と感じたのですが、一応「備前焼」と書いてあったので「これってなんなんだろう?」と疑問に思いました。

この手の伝統工芸的なもので、もともとの魅力を削った量産型ザク的なものを作るというのは割とメリットデメリットが分かれる話になると思います。

量産型ザク的なものを作るメリット

メリットは、入口商品として役に立つというところです。

お重箱も、漆器の伝統的なものだけでなくプラスチックのものもあります。

お気楽な漆器風のプラ食器があることで「漆器を使う食事」的なライフスタイルが新しい人に知ってもらえるという面はあると思います。

ライフスタイル自体が消えなければ、漆器で食事というライフスタイル自体が生き残りやすくなります。

例えば、「家では手入れが手間なので食洗器対応の食器を使うけど、たまの豪華な外食では漆器の食器で食事をとる」みたいな形で。

量産型ザク的なものを作るデメリット

デメリットは「もともとの魅力が伝わらない」というところです。

備前焼の魅力を「土の質感」と考えた場合、表面を何かでコーティングしてしまうともとの魅力は消えます。

かなり上手なバランスでダウングレードさせないと「ただの劣化版」でしかなくなるので、普及に役立つというよりは評判を下げるだけになる可能性もあります。

独自性が消えたらおわり

伝統といっても変化しつづけるのは当然のことではあります。例えば、落語1つとっても100%江戸時代そのままだったら、現代人が楽しめるものとしては生き残っていないのではないかと思います。

(江戸と現代ではだいぶみんなの常識が違うので)

とはいえ、「独自性」が消える方向に変化してしまうと存在意義自体が消えてしまうので、難しい問題だなと思いました。


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