新しいシリーズ企画:フィクションの活用について 後編 (No.0034)





前編のつづき



しかし、このフィクションの力を良い方向に使うことだって出来るのです。

人々の想像の世界を清らかで豊かな場所にし、想像の力も今の何百倍、何万倍にも強くする、そんな使い方だって出来るはずです。


ですがフィクションに限らず、何かものを作ろうとしたり表現しようとする時、つまり個性や才能を伸ばそうとすると必ず「邪魔」が入ります。


この「邪魔」は表に出した時はもちろんですが、実はその前の段階、つまり「自分の中にまだある時」からすでに妨害が存在するのです。


この、個性才能を伸ばす時の妨害については過去に書きました。(「天の文化芸術(No.0004)」) 




文化芸術は誰しも好きで楽しみたいのですが、それを経済や技術、損得勘定などが妨害し個性や才能を伸ばせないようにされているのです。


かなり極端に聞こえるかも知れませんが、要は表現や創作行為は上手い下手なんて関係ないのです。

心から楽しめばそれで良いのです。

その楽しさが自分に他人に個性に想像に影響を与えると思います。


繰り返しますが、フィクションは嘘の世界では決してありません。

フィクションは人の想像の世界に大変な影響を与えてしまいます。


例えば、




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 マモルはコロナウィルスのせいで学校にいけなくなりました。

はじめはうれしかったのですが、2日もすると何だか退屈になりました。


「おかあさんわたしはウサギが飼いたいです」

「どうしてウサギが飼いたくなったのですか」

「わたしの学校にはウサギがいるのです」

「知っています」

「わたしは学校にはいけません。でもウサギがいれば学校にいる気分になれるのです」

「わかりましたウサギを飼いましょう」


マモルは彼の両手に乗る程度のささやかなウサギを可愛がりました。

ウサギの暖かさがマモルの寂しさをいつまでも癒やしてくれたのでした。


おわり




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こんなぼんやりとしたものは経済や利益、テクニックや損得勘定の価値観では書くことは難しいでしょう。いい歳した男がこんなものを書くことは恥ずかしく愚かであると、誰かに言われる前に自分に植え付けられた価値観が批判をするでしょう。


しかし、その批判が世の中の悪しきフィクションを膨らませたと考えます。

過剰で激しく殺伐として歪んだ世界ばかりがフィクションを席巻してしまったのです。


要するに「心から楽しむ事」とは、「自分自身と向き合う事」と同じですので、その行為が怖いから言い訳として経済やら損得勘定を積極的に自ら持ち込むのです。

つまりは「恐怖心」が原因と言ってもいいと思います。



ですが、この「恐怖心」こそ「想像の産物」では無いでしょうか?


ならばこの「恐怖心」を生む「想像の世界」を、明るく優しいものにしてしまえば良いと思います。



今回立ち上げた新しいシリーズで、良いフィクションを載せていき世の中のフィクションと違い、読んだ人の想像の世界を明るく綺麗にしていこうと考えています。


シリーズ名は、

 「グッドプラン・フロム・イメージスペース」


と、します。


お分かりの通りエド・ウッド監督からの引用です。


世界最低の映画監督と言われた監督ですが、そのあまりのデタラメさやチープさが他と違う個性として50年以上昔の作品でもファンから生暖かく愛され続けています。


彼は才能が無かったのでしょう。しかし彼のような人の作品が存在することで、人に何らかの勇気みたいな影響を与えていることはあると思います。


相当にデタラメな人物ではありますが、作品を世に出して残してくれた事に敬意を払い、引用させていただきます。



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