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立川志らく「粗忽一代記」@3/25銀座ブロッサム。

昨日は、年一回の立川志らく@銀座ブロッサム。

毎年3月前後に志らくが独演会を開催する「銀座ブロッサム」が近いという理由で、5年前に今の家に引っ越しました。

推しの立川志らくは20年以上聴いていますが、今回は、「粗忽一代記」。

粗忽者そこつもの、いわゆる「そそっかしい人」が主役となった演目4席。
「堀ノ内」
粗忽長屋そこつながや
「粗忽の釘」
浜野矩随はまののりゆき

通常、独演会で「全部、粗忽者そこつものの話」というのはまずあり得ないそうです(←ほぼ志らくしか聴いていないので、基本がわからない人)が、オール、粗忽者そこつものの会でした。

落語は、話のゴールがわかっているのに聴いてしまう、不思議な芸です。たったひとりの噺家はなしかなのに、世界が自由に収縮し、勝手に映像が大画面で投射され、すべてを巻き込んで嵐を呼んだ末、突然、よくわからないところで終わりを告げる。

志らくの「粗忽長屋そこつながや」は、本当に、何度聞いても毎回違う話のようです。20年前はファンタジーだと思っていましたが、最近は何だか哲学的だなと思ったり、人生の悲哀かなと思ったり。

かつては「ジェットコースター落語」と呼ばれて超高速落語(例:他の噺家が1時間かけて演じる落語を、20分で終わらせることも。)を高座にかけていた立川志らくです。当時は聴いている間に笑い続け、今までの人生で「笑いすぎて、呼吸困難で息が止まるかと思った経験」は、他にありません。

今は、じっくり。

聴いてやるか、と腕組みしながら斜に構えて聴き始めましたが、いつの間にか阿呆らしくて笑い、最後に泣ける落語でした。

来年も聴きに行けるように、また一年頑張って働きたいと思います。