ストレスを避ける代償

自分がなぜストレスに晒されているのか、それを忘れ、ただ快楽だけを追い、ひたすらに苦痛を避けようとする者には、深みや意味にかけた、仲間のいない人生しか手に入らない。人生は、死を目前にしたときに初めて手に入る。それまでは、その人が死に際に何を感じるかはわからない。私たち人間は、電気信号や神経伝達物質による自然的な反応にただ生かされている奴隷ではない。もしその可能性があったとしても、そうと信じることはできないだろう。人生に、何かしらの意義を見つけることで、実際に自分の内部に変化を起こすことができるということを以前書いた。だから、私たちは、人生から意義を消し去ることはできないだろう。意義と言っても大層なものである必要はないのかもしれない。個人的でいい。ストレスは害でしかないと、避けるべきものだと、そう考えていると、自分自身や人生に対する見方が変わってしまう。こんなにストレスを感じるなんて最悪だ。なんでこんなに大変なんだ。もっと自分が優秀だったら。。こんなことばかりが頭を占領するようになると、自分や人生に希望も無くなって、精神的にも参ってしまうことだろう。人生と意義は切っても切れない関係だ。だから、人生に意義を、または他の自分なりの何かを持ってほしい。そこには疑いを持つ必要はない。これは精神論じゃない。そうすることで、体の反応が変わることがもう実験で証明されているのだから。

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