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うつくしきもの〜月岡芳年とエミール・ガレ〜

美術館を訪ねるたびに東京の文化資本を感じる。

国立や都立の大きい美術館だけでなく、私設だったり図書館の脇にちろっとある小さな美術館などバリエーションに溢れている。
電車を乗り継いだり、場所によっては歩いて幾つかの美術館をはしごできたりする。
美術館に行くためには車が必須、そのため親が納得する理由が必要または親も興味を持つ展覧会をプレゼンしなきゃいけなかった田舎に住んでいた身としては、東京はまばゆいばかりの土地である。

大型連休や転職時の有休消化期間は美術館をはしごするのが楽しい。
美術館は決して人間にとって快適な空調とは限らなかったり、知識を頭にぶっ込むので2件以上行くと脳みそが酸欠気味にはなるのだがそれもまた醍醐味。


太田記念美術館は原宿のイケイケピープルを掻き分けた脇道に現れる。
月岡芳年の月百姿を全点展示(前期と後期で総入れ替え)と知ったら行く一択である。
月百姿は100枚通してふんわり好き、といった具合なので特別この絵を見るために!というわけではなかったが、ちょうど大河ドラマの「光る君へ」にどハマりしているので、平安期、特にドラマの登場人物たちの画に悶える。解説に道隆とあれば「みちたか!!」と心で叫ぶ。(赤染衛門の月百姿である)感極まるとその人の名前しか叫べなくなるのはオタクの性質。
花山寺の月は花山天皇にばかりに目が行っていたが、今回の展示で道兼の存在に気付く。道兼…みちかね…大河では七日関白を3週くらいに渡って描いてほしかったよ…

新たな出会いとしては芳年の弟子・水野年方の「三十六歌撰 樽人形 延宝頃婦人」
樽人形のちまっとした愛らしさと右下の下卑た笑いをする男たちの対比がなんとも好み。

浮世絵は生で見ると空摺りや正面摺りがよく見えるし、これは図録だけではどうしても分からない味わいである。
芳年はいつか見立七曜星の実物を見たいものだ。

私設感溢れる見た目と中身が好き


松濤美術館は街並みと建物を見るたびにいつも「お金持ちの街だ!」と思ってしまう。
渋谷の喧騒から徐々に瀟洒な建物群に入れ替わっていった先に現れる。美術館のある付近まで行くと右もセコム左もセコム…
松濤美術館に入る時はついつい背筋を伸ばしてスンッと澄ました表情をしてしまう。

エミール・ガレ展はここ数年の中でも行ってよかったTOP3に入る美術展だった。
ガレの展示はアール・ヌーヴォー期の作品に焦点が当てられがちで、私自身もザ・ヌーヴォーな作品に魅せられてガレにハマったクチである。
この展示では、アール・ヌーヴォー以前に結構重点を置いており、所謂トンボ・カエル・ぶどう…といった象徴的なモティーフだけでなく、歴史主義な面だったり伊万里焼を彷彿とさせる動物だけではないジャポニズムを見ることができたのがとても嬉しかった。位牌をモティーフとかすごすぎるよ…
ヤマザキマザック美術館の名前を見ると「久しぶり!」と言いたくなり、一方で個人蔵と松江北堀美術館蔵の多さに慄く。花器などの装飾品だからゆえの顔ぶれになるほどとなり、通りで全然見たことのないタイプの作品ばかりなわけだと頷く。
特にジャンヌダルクの花瓶に惹かれる。なんと後期にはジャンヌダルクのランプが出るらしいので、こちらも後期も行かねば。
ガレによるアール・デコ期の作品が見れたのも嬉しさだった。幾何学的に繰り返されるゾウの美しさといったら。。

▽上についてる動物なんだろう

▽これってガレなの??実物見たすぎる

今回は松江北堀美術館という存在を知れたのが大きかった。島根にそんなガレ美術館があるのか…いつか行きたい。
ガレはぶどうモティーフのワイングラスや水差しに魅せられて好きになったため、今回はぶどうモティーフの展示が少なめなのは残念だった。しかし、残念を上回る新しい出会いが沢山あることはそうそうない。とても幸福な展示だった。

レンガと木の組み合わせがいつ見てもうっとりする

行きたい美術展が行ける距離に存在するという喜びを噛み締めながら、おやすみなさい。


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