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底辺高校からの早稲田受験【Taro's Subject】

高校生のころ僕は学校の授業は耳だけ参加して、頭と手元は自習を行うというヘンテコな勉強スタイルだった。残念ながら県内でも下から数えて5本の指に入る学校の授業は大学受験には向いてなかったし、高3の一学期の英語は1年と2年の英語の復習から入るという僕にとってはお粗末なものだった。

とはいえ、体育会系の厳しい学校でもあったので、授業を完全に無視するわけにもいかず、そこで苦肉の策で考え出したのが耳は授業に参加して質問されたら答える。
ただ、基本的には学校の授業はサブで、志望校に合った勉強を自習するというスタイルだった。

今思えばずいぶんと器用なことをしていたものだと感心しなくもないが、当時の僕は少しでも自分のための勉強時間が欲しかったのだ。

自分の目標は志望校である青山学院や立教大学に合格すること。
授業のレベルは高く見積もっても地元の大学に何とか入れればというもの。
甲子園をめざすチームの練習と、地方大会の一回戦を何とか勝とうチームの練習内容が違うように、目標が違えば授業の内容やレベルが変わることを鑑みて、僕としては志望校合格にむけてまっとうな手段だと感じていた。

ただ、そんな僕の勉強スタイルはほどなくして教師たちから目をつけられることになる。そしてなぜか「あいつは学校の勉強をバカにしている」というねじ曲がった思想が教師たちの間で広まっていった。

そして高3の一学期の半ばぐらいから、一部の教師たちの僕への風当たりが強くなった。やたらと厳しい言葉を浴びせられるようになったし、「あいつはおまえらとはレベルが違うと勘違いしている」と同級生を煽るようなこともあった。

僕としては自分の目標に対してピュアに挑んでいるつもりだった。その結果として、授業は耳だけ参加する、という手段をとっただけだ。本当に学校をバカにしているのなら、授業をサボりまくってもおかしくない。ただ、変なところでマジメだった僕は、そういうことはせずにちゃんと毎日学校に通っていた。(シンプルに同級生は大好きだったっていうのもある)

なんだか理不尽だな…と感じていた矢先の生徒全員強制参加の夏休みの補習初日、ちょっとした事件が起きる。英語の文法の授業で、僕は問題集をうっかり家に忘れてきてしまったのだ。

普段であれば三角定規でケツをピシャリとやられて終わり。先生が持っている予備の問題集を渡されて、それでその授業をやり過ごす。

しかし、なぜかその日はそうはならなかった。
「やる気がないなら出て行け!」と怒鳴られ、僕が少し呆然とした表情で立っていると、「GET OUT!」と再び怒鳴られた。

いつもと違う…と最初は困惑したが、すぐに状況を理解することができた。
「ああ、なるほど、この人は自分の授業をちゃんと聞かない僕が嫌いなんだな」と。

抵抗を諦めて教室を出た僕はそのまま家に帰った。
ピシャリと閉めた教室の扉の向こうから英語の教師の「ああいう奴は…」の声が今でも耳に残っている。

夏休みの補習ということもあって「ずいぶん帰りが早いね」と母から言われたが、それ以上に理由を聞かれることもなく、僕は家で黙々と勉強に打ち込んだ。

最初は無駄な授業を受けずに自宅で勉強できることに喜びすら抱いたが、夜になってだんだんと怒りと悔しさがこみ上げてきた。

結果、僕は自転車で家を飛び出した。なんだかよくわからない感情が押し寄せ、それを振り払うかのように無我夢中で自転車のペダルをこいだ。気がつくと僕は夜の学校にたどり着いていた。

見上げると夜空が綺麗だった。同時に我慢していた涙が大量にあふれ出てきた。僕は自分の志望する大学に行きたいだけなのに…と。

その後は夜の校舎に忍び入り、置いたままで帰ったスクールバッグを教室にとりにいった。暗い廊下をひとり歩いていたとき、そこで何か自分に何かスイッチが入ったのを覚えている。

絶対に志望校に合格する。青学や立教レベルじゃない。この学校で誰も成し遂げたことのない大学に入ってやる!

受験へのエンジンがほんとうにかかった瞬間だった。

自宅に帰ると母に今日あったことを正直に伝え、明日から補修を休んで自分で勉強したいと申し出た。反対されるかな…と思っていたが、母は意外なほどあっさりと了承した。

僕は二学期になったら再び学校に行くことを約束し、次の日から補修をサボった。

実力行使に出たのが良かったのか悪かったのかはわからない。ただ、二学期になってから教師の僕への風当たりは弱まった。

その後、僕は最初の目標を飛び越えて早稲田大学に合格する。開校以来の快挙で、その記録は卒業して25年が経った今もやぶられていない。

母校へは卒業以来、一度も行っていない。同級生とは今でも付き合いがあるが、学校主催の同窓会には顔を出していない。一度、講演を依頼されたこともあったが、忙しいことを理由に断った。

綺麗な夏の夜空を見るとふとあの日の記憶が蘇る。
今では悔しかった思い出よりも、あの日かかった「本気」という名のエンジンに感謝すらしている。

【鎌倉物語】




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