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【自己紹介】人生を見直した話


はじめまして


2023年8月から
エンジニア育成オンラインスクール RUNTEQ
にてプログラミングの学習をしております。
早いもので8ヶ月目に入ろうとしており、
只今、卒業試験真っ只中です。

どうしてエンジニアになりたいと思ったのか
こういう意図を含んだ質問を投げかけられるたび
私は一貫して「イキイキ生きるため」と答えてきました。

イキイキ生きるを紐解いて
今の私を知ってもらうには、
必要ではないかもしれない自己開示も含んだ自己紹介
となっております。ストレスを感じた際は
ブラウザをそっと閉じるか項目を飛ばしてください。



プロフィール


名前 タク
年齢 32(1991)
※ 2024年3月現在
出身 新潟
学歴 大卒(私立文系)
趣味 サウナ(歴11年)
   ご当地サウナタオルの収集癖、自覚症状有り
   旨飯ディグ(歴7年)
   レビュー重視せず、自分は好きかスタイルです

愛犬のナラです はぁかわい


30代未経験からWebエンジニアになる!
を目標に日々奮闘してます。

𝕏 もよろしくお願いいたします →@sttk_91



職歴


アパレル(販売職)

新卒で第一志望だった
某セレクトショップを運営するアパレル企業に
入社することが叶いました。

多分人生で一番のイケイケどんどん期
かっこいい大人に囲まれて、
好きなことを仕事にすることの喜びが
全ての負の部分を上回ってました。

人が良く、仕事への姿勢も、
プライベート含め生き方の大切さも
大切にしている価値観はほとんど、
ここで形成していただきました。


現在

結論から言うと
私は今、家業である畳店に従事しています。
いわゆる後継者という立場です。



長男として産まれて


私は4人兄弟の2番目長男として産まれました。
上には姉、下には妹と弟がいます。

古く、田舎の価値観かもしれませんが
幼い頃から大人の間で跡取りだ
なんて言われていた私は
幼稚園の卒園文集で
大きくなったら「たたみやさん」になる
と書くくらいに後を継ぐということに、
当時は何の違和感も感じていませんでした。


思ったよりも早かった人生の転機

まるまる1年、大好きだった仕事を辞めよう
と決断するまでにかかった期間です。

新店出店に携わっていた当時24歳の私は
日帰りで従兄弟の結婚式に出席し、
東京に戻るため駅に向かう車内で
父の体調を母から聞かされました。

自分の体と向き合うことをしない父だったので
このままだと長くないから
覚悟はしておいてねという話でした。
(当時の父はアルコール依存で内臓ボロボロ)

新店オープンしても、同期と高め合う時も、
私が考えていたことはその時から
「長男としての使命」でした。

結局自分にしかやれないことはこっちだと
新潟に帰る決断をしました。


2016年11月

※ この項目はストレスを感じる方も、いると思います。
項目を飛ばすよと言う方へこの項目をまとめると

▶︎ 竈門炭治郎の、
  俺は長男だから我慢できたけど
  次男だったら我慢できなかったは大マジ

▶︎ 全国の長男へ
  いつもお疲れえええいいい!!!!!!!

以上の2点です、
それでは次の項目へ飛ばしてください。







あらかじめ言っておきますと、
私の最大の懸念は、
「うわあなんて声かけよ、、」これです。
お願いだからお願いします。
見て分かる通り私は元気です。

おそらく、不必要な自己開示になると思います。
ですが、どうして今があるかを知ってもらうために
あくまで私にとっては楽になるのでお話しします。

畳業界は、ITの世界の言葉で言うレガシーな業界で
私のような歳の人間がいることが稀、
若手と言ったらせいぜい40代、
業界自体、年々縮小していることは
きっと外部からでも見て取れると思います。

右も左も分からないまま、
そんな業界に飛び込んだ半年後
父は亡くなりました。
父は寿命を待たず、
自分で最期を選びました。

私が中学生になる頃
当時先進だったコンピュータシステムを導入し
大規模な設備投資を行い
畳店の構造改革を始めたことが
父が「鬱病」になった原因でした。

当時のことはハッキリ覚えていないのですが、
このまま父がいなくなっちゃうんじゃないか
と思ったことが数回あります。
その時から何年も経っていたこともあり
私は完治しているものだと
思ってしまっていました。

父が亡くなってからは、
工場にいることも入ることもできなくなり
もちろん仕事にならないので、
「しがらみも無くなったんだから
仕事変えてもいいんだよ」
という母の言葉に、
そのタイミングでの転職も考えました。

ですが、構造改革時の借金が残っていたため
私が後継者の立場から退くことは、
実家をなくすことを意味していましたし
当時、妹は大学生、
弟は高校生だったこともあり
全ての間違いはここなのですが

「借金を返すこと」と、特に弟の
「選択肢を減らさないこと」

が長男としての使命に変わりました。
いるだけで動悸と吐き気がしていた工場にも
無理をすることで耐えれるようになった、
そんな状態から始まりました。


とにかく突っ走った7年

できることを増やして
扱えるものを増やして
分からないことをなくして
若いからできるを増やしていって

無理して、蓋して、背伸びして
若いことで舐められたくない
そんな一心で突っ走ってきた7年でした。

新しく始めたサービスでお客様ができたり
そこから別の仕事に繋がったり
バッグを作ってイベント出店したり
そこで声をかけていただいて
また別の仕事に繋がったり
ありがたいと思う反面

頼っていただけることが増えてきて
感じたことは喜びでは無かった。
継いだことを「偉いね」「立派だね」
と言われることがストレスになった。
そう気付き始めるのに時間はかかりませんでした。

それは恐らく、自分の中で美談では無かったから
現状をしょうがなくやっていること
と、本心では思ってしまっていること
に気づいてしまったからです。


"死"を身近に感じると

畳業界はやはり年配のお客様が多いので
お世話になったお客様が亡くなることも、
亡くなりそうだ、亡くなったので
で、仕事をいただくことも多いです。

それが理由なのかはわからないですが
自分が死ぬ時のことを考えることが多くなりました。

このままだと
きっと自分が死ぬ時にいろんなことを恨んでしまう

長男の使命を果たして、
やらないといけないことを
片付けることができた今だから、
しょうがないで生きていくことをやめようと
自分の人生を生きようと思うことができました。



生き方に目を向けたい


実は父が亡くなった2ヶ月後に
娘が産まれ、現在7歳になりました。

娘が産まれて、親にしてもらえて尚更
死ぬ時のことを考えるのではなく
生き方に目を向けたいと考えて今に至ります。

私にとっての生き方とは
1日の大半を占める仕事選びそのものだと思っており、

未経験ではありますが、働き方に魅力を感じ
Webエンジニアを目指すに至りました。


プログラミングに興味を持つ

古いツールで作られた
自店のホームページを新しくするべきだと思い、
ノーコードツールを使ったことが
プログラミングに初めて興味を持ったきっかけです。

作っていくうちに確かに見た目はできていくのですが
中身の統一性がなかったり
使い方が合っているのかの判断ができず
その流れでHTMLとCSSの勉強をかじりました。

マークアップ言語を使って
ある程度の形ができる感動はあっても
動的なページは作れなかった。

そんなこんなでProgateに辿り着きます。
一通りいろんな言語に触れてみて
まぁ〜何言ってるかわからない
その後どう進んでいくべきかもわからない

一人で勉強することの壁の高さを感じ
プログラミングスクールに入ろうと決めました。


RUNTEQ生活

2023年8月から始まった
仕事をしながらカリキュラムを進める生活は
冗談でも余裕なんて言えません。
毎日命削ってますし、
基本的に白目剥いてます、正直。

ですが、
今自分のために生きれてるな〜とは実感します。
それが何より嬉しいです。

やっぱり時間を作るの難しいかもなって
入学を躊躇していたあの時に
9ヶ月は無理しようって腹を括ることができた自分を
何よりも褒めてあげたいです。

カリキュラムも終盤、
残すはMVPリリースのみになり
卒業の2文字がちらついたりしますが、
卒業できなかったなんてことにならないよう、
最後まで気を抜かず、白目剥きながら
もう一踏ん張りしてまいります。



最後に


RUNTEQにはいろんな境遇を持った方がいて
みなさんの自己紹介を見て
私も自己開示をしてみようと思うことができました。

オフラインに参加することができておらず
繋がりはオンラインがほぼですが
とてもステキな皆様に囲まれて
ありがたい限りでございます。

今後オフラインの場で会うことがありましたら
是非ともよろしくおねがします!!

長々と、まとまりのない文章を読んでいただき
ありがとうございました。

𝕏 もよろしくお願いいたします →@sttk_9

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