ブログを

書け、書かなければ別れる、と妻が脅してきたので久しぶりにブログなるものを書いてみることにしますが、さていざ書こう、とすると、はて何を書いて良いやらわからない。
書いて悪いものなどない、好きなように思うがまま書けば良い、と妻は言うのだが、流石にそんなことはないだろう。
書いて悪いものはあるはずですよ。
例えば誰かが事故とか殺人とかで死んでしまったが、俺はその人のことが常日頃気に食わないと思ってたからといって、やっと死んでくれて本当にスカッとした。今後も気に入らない奴はどんどん死んでいけばいいと思う。などと、書いたら大変じゃないですか。て言うか流石に俺だっていくら嫌いな人がいたって、その人が死んだらそれなりに心痛みますよ。スカッとなんかはせず、モヤモヤとした黒い影が腹の奥にズシンと溜まるだけです。そこまで酷い人間じゃありません。
このように、書いたらダメという線引きはあるわけです。いくらブログが日々のよしなし事を書く場であるとはいえ。
かと言って、あれを書いたら誰それが傷つくかも、とか、こう書いたらどこそこから炎上してしまうかも、といった気の遣いが、必ずしも面白い表現に繋がるかといえば、なかなかそれは難しい話でもあるのです。
何処かの誰かに気を遣いすぎたあまり、当初とっても面白かった作品が、石ころ同然の価値に成り下がるギャグというのはあらゆるところであらゆる人が使っていますね。三谷幸喜さんとか唐沢なをきさんとか。
炎上しようがしまいが知るか、と。
書きたいことを書けばいいし、そもそもお前のノートなんて誰も見てはいないよ、という声もごもっともだし、その通りだ、とも思うのですが、いくらなんでも学生の頃と同じノリで、あの殺人事件の犯人は人間的に未熟なので早いとこ死刑にするべきである、なんて事は書けません。
恐ろしいことに、学生の頃はこの様な日記を毎日ジオシティーズに書いていたのですよ、皆さん。
流石に大人なので、そこまでいい加減なことは書かないつもりでいますが、もしポロリとこぼれてしまった時はすみません、と、はじめに謝っておくスタイル(スティーロ)。

それではいつまで更新が続くかわかりませんがよろしくお願いします。
3年前は、はてなで書いていましたが、せっかくアカウントあるのでノートに書いていきますね。

ところで、最近は殺人事件があると、すぐに何の根拠があるのか知らないが、犯人は日本人ではない、とかいう人が多くて困りますね。
それを言うなら、犯人は人間ではない、と言うべきでは?

佐川一政の時も現地の人たちは、犯人はフランス人ではない、とか言ってたのかなあ。
言わないか。言わなくても見りゃわかるもんな。

#雑記

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