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厭な話『ナオコさん』

「佐野ナオコさんっていうんですけど」

仲本さんは語った。

仲本さんは沖縄県の南西にある小さな島で、賃貸をしている。

「小さな平屋を貸しているってだけで、大家ってほどでもないんですけど」

自分が住んでいる家の他に、二軒の平屋が同じ敷地内にあり、それを人に貸しているという。

2年前、そこの一軒に、東京から来た若い夫婦が住むようになった。

「奥さんが佐野ナオコさんで、旦那さんが、佐野芳文さんでした」

若い夫婦ははじめこそ、島に慣れようと努力していたが、やがて家の外に出てくるのはナオコさんだけになった。

「旦那さんの芳文さんの方は、島の人と合わなかったんでしょうか。だんだん人付き合いが悪くなって、そのうち家から出てこなくなってしまったんです」

狭い島のことだ。そのことはやがて周知の事実になった。

「可哀想なのはナオコさんでした。二人がどういう事情で島に来たのか知りませんでしたけど、もう内地には戻れないみたいで。なんとかこの島で生きていかなきゃいけないからって、一生懸命島の人と仲良くしてましたよ」

やがてナオコさんは仲本さんの親戚の家が持つサトウキビ畑に出て働き始める。

「ほとんど毎日出ていました。自分から休ませて欲しいと言ったことはなかったですね」

朝早く、仲本さんの親戚らと一緒に日除けの頬かむりと虫よけの長袖を着込んで畑に向かい、夕方近くに帰る。

そんな生活を続けていたという。

「芳文さんの姿は殆ど見えませんでした。時折、コンビニでお酒買ってる姿を近所の人が見てたくらいで」

そしてやがて、ナオコさんの家から怒声が聴こえてくるようになる。

「同じ敷地内なので、よく聴こえてきました。夜になると酔っ払った芳文さんがナオコさんを怒鳴りつけているんです。主人が何度か注意しに行きましたが、ナオコさんが平謝るばかりで。その姿があまりにも可哀想で、そのうち、主人も嫌になってしまって、何も言わなくなってしまいました」

そんな日々が過ぎたある日、変化が訪れる。

「ナオコさんが、妊娠したんです」

ナオコさんのお腹は、既にその時点で少し大きくなっていた。

「気づくのが遅くなっちゃって、とナオコさんは笑ってました」

しかし、その報告をしにきたナオコさんは、笑いながらもどこか沈んだ表情をしていた。

「珍しく芳文さんと二人で家に来たんですけど。芳文さんのほうが喜んでいるようで、ナオコさんはどこか心ここにあらず、と言った感じでした」

そして芳文さんは、仲本さんの旦那さんに、「自分も父親になる。これからはまじめに働くので仕事を紹介してほしい」と熱心に語ったという。

「まあ、でも酔っ払っていたんですけどね」

そしてしばらく日にちが経ち、仲本さんの旦那さんは、芳文さんに仕事の紹介先を見つけてきた。

「主人はその日忙しかったもので、私がそれを、畑でナオコさんに伝えました。ナオコさんは、ひたすら頭を下げていました」

その晩は、芳文さんの怒声ではなく、笑い声が聞こえた。

仲本さん夫婦は、ようやく隣の家族もまともな生活になっていくのだ、と安堵したという。

「ところがそれは全くの思い違いだったんです」

次の日の朝、芳文さんがいなくなった、とナオコさんは言った。

「朝目が覚めたら、芳文さんが布団におらず、ただ一言『子供をよろしく』と書いた手紙だけがテーブルの上に乗っていた、というんです」

どこへ行ったのかと訊いても、心当たりはない、とナオコさんは言った。

「でも、島から出られるはずないんですよ。夜中に出してる船なんかありませんし、あっても漁船です。芳文さんが漁船に乗せてもらえるほどの付き合いがあったとは思えないし……」

仲本さんは、「今日は畑休む?」と訊いたが、ナオコさんは大きなお腹を大儀そうに抱えて、「行きます」と言った。

「休んで帰りを待ってるほうが、体にも心にも良くないからって言うので……。なんだか目の下に隈もできて疲れてるみたいだし、みんな止めたんですけど」

それでもナオコさんはその日からも毎日休まずに大きなお腹のまま畑に出続けていた。

近所の人や警察も芳文さんの姿を探したが、結局見つからなかった。

やはり芳文はなんとかして島を出て行ったのではないか、という空気が島を覆っていた。自分が父親になるというプレッシャーに耐えられずに、逃げたのだ。

「ナオコさんも、はじめは落ち込んでいましたけど、畑に毎日出ていることで、だんだん元気を取り戻したみたいで……。一週間経つ頃にはすっかり前よりも元気になっていました」

お母さんになるんだから、と、三食よく食べていたという。

「朝は大きいお腹が、夕方畑仕事終わる頃には、少し小さく見えたりして。エネルギー使ってるのね、なんてよく笑ってました」

しばらくした頃、島の小学生の間で気味の悪い噂がたったという。

「近所の小学生が、学校の近道だって言って、サトウキビ畑の中を横断してたらしいんですけど、ある日、一人の男の子がいつものようにサトウキビをかき分けて歩いていたら、ぬっと、真っ黒い顔をしたおじさんに出会ったというんです」

男の子の目の前に、真っ黒い顔をしたおじさんが現れた。おじさんは両手を自分の頬に当てたまま男の子を見下ろしたという。そしてそのおじさんには、三本目の手が生えていて、胸のあたりからだらんと、垂れていたという。

「それで男の子は恐怖のあまり失神したって……。目が覚めたら、もう誰もいなかったみたいなんですけど」

仲本さんは自分の二の腕をさすりながら言った。

「そんな噂がたったもんですから、ナオコさんたちとは、嫌だね、気持ち悪いね、なんて話してたんです。子どもたちはお化けだなんて言ってたんですけど、私たちは変質者じゃないかって。だってほら……体の真ん中から生えてるもう一本の腕って、おそらく、それって、多分、あれじゃないですか、ねえ?」

仲本さんは唇を歪ませて笑顔を作った。

「でも、結局私たち大人はそんな人、その後も見たことがなくって。それで、結局、ナオコさんの子供がいよいよ生まれるというので、ナオコさんは実家に帰ることになって」

ナオコさんは島に戻ってくるつもりだったが、結局両親に反対され、そのまま島に戻ることはなかったという。

「それで子供も生まれてしばらくして、ナオコさんから連絡があって。家を引き払うって。少ない家財道具も、引越し屋さんに頼んで詰めてもらうから、自分はいけなくてすみません、って」

それで結局、ナオコさんの家は空き家になった。

仲本さんは、その後もその家を貸し出すために、リフォームを頼むことにする。

「で、本当は、主人とも言ってたんですけど、床下から、白骨死体が出てくるんじゃないだろうか、って。誰のってそりゃ、芳文さんのですよ。ナオコさんは芳文さんを殺して、床下に埋めてたんじゃないかなって、時折話してたんです」

しかし結局、床下からは何も出てこなかった。

「ただの取り越し苦労でした。まあ当たり前ですよね。疑ったりしてナオコさんには悪かったです」

その後ナオコさんからは一切連絡はないという。

「どこかで子どもと二人で仲良く暮らしてるんだと思いますよ。変質者ですか? そっちの方も、その後何の目撃もありません。子どもたちの間では、さんぼんおじさん、なんて今でも都市伝説みたいになってるみたいですけど」

その後も引き続き警察や船長達によって芳文さんが船に乗ることはないかと気をつけているが、今日まで目撃されたことはないという。


なんだか居心地の悪い話を聞いた。


この話は続く。


※登場する人名は全て仮名です。

#短編小説 #厭な話

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