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リアル牛丼

そのとき隣の隣に座っていた若い兄ちゃんが叫んだ。
「リアル牛丼!」と。
その叫びを思い出して俺は思った。本物とはなんだろうかと。

確か今年の春ごろだったと思う。母と共に皮膚科に行き。その帰りに昼食を食べようということになり、田舎の象徴であるイオンに向かった。その地域では比較的大きいイオンだったので、飲食店だけでもたくさん出店していた。

どの店にするかしばらく迷ったあげく、フードコート内にある、炭火で肉を焼いている本格牛丼のお店に決めた。牛丼と冷麺のセット。値段は忘れてしまった。なぜなら食べているときに衝撃的な叫びを聞いてしまったからだ。

母に席を確保しておいてもらい、自分が注文をするために炭火焼肉のお店の列に並んだ。若いヤンキー風のお兄ちゃん二人組が先に並んでおり、その後ろに並んで待つことにした。

自分が注文しようとしている炭火焼き牛丼と冷麺のセットを、その二人組も注文したようだった。自分の番が来たので、セットを二つ注文して少し待つ。自分と母の牛丼セットを受け取って席に座る。

先ほどの二人組は、自分たちが座っている席の隣の隣に座っていたが、特に気にも留めなかった。

合掌して牛丼を食べ始める。炭火で焼いた肉が香ばしく、かかっているタレも甘辛くて美味かった。セットの冷麺も酸味が効いていて美味い。

すると、先ほどの二人組の方からやや大きめの声が聞こえた。さぞかし美味しかったのだろう、二人組の片方の兄ちゃんがこう叫んだ。
「リアル牛丼!」と。

いやいや(笑)牛丼なんだからリアルは当たり前だろうよ。君はあれか?普段バーチャルの牛丼を食ってるのか?

というツッコミをしそうになったが止めておいて。いや、待てよ。リアルな牛丼。本物の牛丼?本物ってなんだ?何をもってして本物というのだ?

と、思考の迷宮に落ちそうになったが、牛丼が美味くてどうでもよくなってしまった。

それからしばらく経ってから思い返すと、ある意味深い言葉だなと思った。目の前にある牛丼が本物であるかどうかは自分が決めること。他者が決めることではない。

俺は自分が注文して食っていたものが牛丼であると疑うことはなかった。目の前にあるモノが牛丼である。それがあたりまえだと思ってしまっていたのだ。

しかし、それはあたりまえではない。ありがとうの反対があたりまえと言うならば。目の前にあるモノが本当に牛丼である、という思い込みは間違いなのだ。あたりまえなんかじゃない。自分にとってそれが本物だと、リアルだと認識したときにはじめて、それが牛丼となるのだ。

有難し。の反対が、当たり前。であるように、当たり前の反対が有難し、なのだ。

色即是空

あの、ヤンキー風の兄ちゃんはそれを俺に教えてくれた。目に映るものを疑い、そして信じよと。

彼はもしかしたら何か、超常的な存在なのかもしれない。昔から、神仏は道端に立ち、人間のふりをしてさりげなく大切なことを教えてくれたりすると聞いたことがある。

あのヤンキーはもしかしたら、神か仏、だったのだろうか・・・


肉はやっぱり、炭火で焼いたほうが美味い・・・

(写真:別のお店の、しかも豚丼)

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