マガジンのカバー画像

河野達郎地域創生マガジン

23
金曜マガジン/金曜日更新予定 大洲市の観光プロデュースを担っていた2002年以降20年間撮影し続けてきた肱川流域の城下町大洲。残しておかなければならない大切なことや誰も知らなかっ… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

あの時ボクが観た景色④『消え去った風景』

消え去った風景を次代へ届ける使命感。  私の基本撮影テーマは「写真は語る」。故・川本征紀…

あの時ボクが観た景色③『臥龍の潭淵』

臥龍淵雪景 2010年1月13日撮影  肱川水系随一の景勝地としてその美しさは藩政時代から受け継…

あの時ボクが観た景色②「今年の夏」

激暑の夏が遅ればせながら少しずつ去って行くようです。  初秋の気配を感じながらTシャツ一…

あの時ボクが観た景色①

古希を迎え、自分の人生を振り返る事が少し増えた。  1998年から関わり始めた大洲のまち…

歴史の薫陶

幕末、維新成就の舞台裏で活躍した大洲藩士。  私がよく使っている『肱川街道』という表現は…

ひじかわ歳時記

 観光地としての成功とは、多くの皆様方にお越しいただき相乗効果として経済的潤いが発生し、…

あの頃が語る今。

若い頃から写真には興味があった。  画を描くことがことのほか下手くそな私の小学生時代、地を這うような通知簿の評価はお袋の怒りを買い親父を黙らせてしまったあの頃。以来今日まで60年近くの月日が流れた。数年前のことだ。自宅敷地内の古い家屋で倉庫代わりにしていた建物を取り壊すことにしたので整理をした。古い桜を材としたお袋のタンスは私にとっても思い出の深いもので子ども時代のいろんなことを思い出しながら一つ一つ確認して分別していたときのこと。最後に出てきたのが昭和36年に大洲市立平野小

+19

百畳凧ドキュメント+

大洲城二十一景撮影解説

「美しい春」を迎えた今年の大洲城  3月24日に撮影を始めて今日までに撮影した大洲城の写…

肱川鵜伝 大洲のうかい

大洲のうかいは、国内開催と唯一の「合わせうかい」  開始されたのは1957年頃のことだで…

石畳栗師奮闘記

 石畳つなぐプロジェクトの皆さんと交流をさせていただき、バックヤードからの応援写真家とし…

+7

石畳マガジン 背山臨水石畳

石畳マガジン『村のシンボル』

石畳地区、  現在の人口は約270人。いずれ100人を切ってしまうと言われているこの集落…

+6

石畳マガジン 『麓川蛍』