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< 「風の時代」に向けた「カルマの解消」のすすめ その2:パターンからの解放とボーナス・ステージ >

前回の投稿から「エネルギーの法則」「カルマの解消法」を、もう少し踏み込んで文章化してみました。言葉を尽くしたので言い回しがまどろっこしいですが、よかったらおつきあいください。
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エネルギーの法則と3つの振り返り
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「起こること全てには意味があって、それは愛の中で起こっている」
これは宇宙の真理をひと言で表現したものです。
「それは愛の中で起こっている」という部分をさらに具体的に言えば「それは自分から始まり、自分への愛のメッセージとして返ってきている」という表現になり、ここに「カルマの法則」の真髄があります
「カルマの法則」は難しい言葉で「因縁因果の法則」といい、人生における「原因と結果の法則」を表します
全ては自分から始まり自分に戻ってきただけだから、誰かを責めることなく、裁くことなく、自分も相手も赦すこと。そしてできれば自分から「謝罪」の意識を送ってしまえば、カルマ的なしがらみはより早くに解消できる、というのが前回の<カルマの解消のセッション>のお話でした。
3つのカルマ、つまり「行為」「言葉」「思い」の中で自分が誰かにぶつけたものが、そしてこの世界に発信したものが、戻ってきただけという「潔い振り返り」がカルマの解消の一つめの鍵です。そして素直に「謝罪の意識」を送ることが2つめに鍵になり、奪ったかもしれないエネルギーを送り返し、自分と相手を「赦し、手放す」ことで完了させるわけです。
この3つめの鍵である「赦し」が最も肝心な部分で、誰かに許してもらおうとせず、自分で自分を「赦す」ことが大切です。
この一連のプロセスは「ホ・オポノポノ」とよく似ていますが、ホ・オポノポノのキーワードにある「許してください」という部分だけは違っているように思うのです。宇宙は最初から「許してくれている」のだから、「許されていない」と思うのは自分だけです。この場合のゆるすは「赦す」であって、これは「水に流す」という意味です。自分で自分を赦し、水に流すわけです。

エネルギーの法則には大きくあと2つあります。
もう一つは「同調と巻き込まれの法則」と呼ばれるもので、これを難しい表現で「波長同通の法則」いいます。
これはエネルギー的な共鳴現象とも言え、同じような意識、感情、波動レベルの人や事が同調する形で身の回りに集まってくるというものです。これは「類友の法則」であり、狭義の「引き寄せの法則」と言い換えてもいいのですが、「カルマの法則」に対する「シンクロの法則」、つまりシンクロニシティが起こることを説明しているわけです。
ここで重要なのは「周囲の人間関係は自分自身の“鏡”になっている」という捉え方です。
自分自身を客観的に評価するの難しいのに、人の至らなさや欠点はよく目につくものです。ここでの振り返り方は「人のふり見て我がふり直せ」になります。自分の交友関係を見渡してみれば、自分の今の成長度や意識レベルを推し量ることができます。
そしてもう一つ重要なのが、「より大きな波動に飲まれると、意識レベルがその波動から抜け出せなくなる」という現象で、これを「巻き込まれる」といいます。
「朱に交われば赤くなる」といいますし、箱の中の「腐ったリンゴが他のリンゴも腐らせる」ともいいます。特に大きな組織や団体のエネルギーに巻き込まれると、考え方まで染まってしまい、自分で考えているつもりが、実はそう仕向けられていることもよく起こります。これをエネルギー的症状として「波動障害」と呼び、治療(ヒーリング)が必要と考えるのです。
実際相手にマインドコントロールの意図がなくても起きるのですから、現代社会にはこういった印象操作、マンドコントロールがそこかしこで起こっていると自覚すべきでしょう。
「風の時代」は「個」の時代であり、誰もが主人公として「一人で立つ」必要が出てくると思われます。「風の時代」に移行するにあたり、団体や組織から一歩外に出るのは、ある種のイニシエーションとして必要なのかもしれません。

3つめのエネルギーの法則は「内的創造の法則」と呼ばれるものです。これは90年代から「シークレット」などの著作で一般化していった広義の「引き寄せの法則」を表しています。
一つめの「原因と結果の法則」二つめの「同調と巻き込まれの法則」に対して、これを「想像=創造の法則」といいます。つまり「普段から無意識にイメージしていることは現象化しますよ」と言ってるわけです。
難しい言葉でこのエネルギーの法則を「因果逆転の法則」と呼ぶこともあります。「結果」をイメージすることで「原因」が作られ、プロセスが後から生じてくるからです。これが「創造行為」でなくて何なのでしょう。宇宙を作った造物主と同じものがわたしたちにも宿っている地球人は特にその力が強いのではないか…とすら思います。
私たちには「自由意志」があります。「その自由意志を使って人生を自由に選択してごらん」と造物主から言ってもらっている。でもいくら自由意志があっても人生がままならなければ苦しむことになります。だから自分で人生を切り拓けるように、「自由意志」に対してコインの裏表である「創造のパワー」も与えてもらっているのです。
ここで振り返るべきは、その状況は「自分で作り出したのではないか?」という見方です。「人生はままならない」という誤った考え方によって、不安や心配によって、「自分はそれに値しない」という誤ったアイデンティティによって、望まない状況を作り出しているかもしれません。もしそうなら、この「内的な創造の力」で人生を新たに作り変えればいいことになります。

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カルマは「生きグセ」
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しかし潜在意識に一旦定着したアイデンティティや人生に対する見方、考え方は容易には変えられません
私たち人間の脳は、本能からある程度解放されているものの、未成熟な状態で生まれ落ち、その時代や民族の風習や価値観を生まれた後でインストールするように出来ています。これは人類が時代や民族によって大きくライフスタイルが異なるため、環境に適応するために身につけた能力とも言えるでしょう。
特に右脳が優位な6歳くらいまでに周囲に起こった出来事、言葉、情動、波動などを吸収し、人生の土台となる「条件付け」を行います。この「条件付け」は快・不快の感情や善悪の観念を形成し、そこからある出来事に対する感情のパターンや思考パターンを呼び出すわけです。
感情パターンは「性格」になり、思考パターンはその人の「価値観」や「生き方」になっていきます
「条件付け」は平たく言えば人間の持つ「学習能力」と言っていいのですが、この「観念の形成」は潜在意識のレベルで行われるため、意識するのも、自覚的に振り返るのも難しいのです。
そこで「魔女のエネルギー療法講座」ではさまざまなセッションを通じて、潜在意識レベルの改変・クリアリングを試みていきます。

「習い性」とはよく言ったもので、私たち人間は「本能から解放されている」代わりに「習慣の動物」なのでしょう。そして一度習慣化すると、いつしかそれは「生き方」になっていく傾向があります。昨今のマスク社会などはその「良くない事例」の典型と言えます。
霊長類の中でも人類だけが前頭葉を発達させてきました。ここは数百万年レベルという最も喫緊に進化した部分なので、バグも多いのです。
武田 邦彦先生は大脳における最大の欠陥は二つあると指摘しています。一番最初に入れた見方(価値観)で全てを判断しようとする「先入観」と、一度思い込んだ見方(価値観)しか目に入らなくなる「偏見」の二つです。
例えば一度「イスラム教」という洗礼を受けてしまえば、その人は生涯にわたって「イスラム教」を基準に他の信仰を推し測ろうとするでしょう。「宗教の呪縛」はそれほどまでに強力です。また一度素晴らしいと思い込んでしまうと、逆の価値観に出会うと自分が否定されたかのように嫌悪感を示し、攻撃的になる人がいます。最近ではこれを「認知不協和」などといいますが、さまざまな場面でこの「先入観」と「偏見」による事実誤認は起こっていると言えるでしょう。私たちの脳は、それほど容易に騙され、容易に洗脳されてしまうほど脆弱なのだと自覚すべきなのかもしれません。

かくの如く私たちは一つのパターンに嵌まりやすいわけですが、これが人生をまたがっても起こっているように見えます。
例えば、過去世でも同じような生き方をし、同じような感情を持ったことで、同じような病気になり、それが元で亡くなったというような事例です。
今生を振り返っただけでは、なぜその病気になったのかを解き明かせないとき、過去世からくる原因や過去世からくるパターンを見出す事があります。
確証はもちろんないのですが、魂的な視点から見て「おそらくそうだろう」という納得感が判断基準になります。同じようなネガティブな生き方、同じようなネガティブな感情を撒き散らしていても、一人は病気なって苦しみ、もう一人は経済的な苦境に陥って苦しむといった違いが起こるのも、過去世からくるパターンが影響している可能性があります。
カルマは関係性の中で生じたり、この世界に放ったものが返ってくるという側面の他に、この「パターン化された生き方」という面もあります。まさにカルマは「生きグセ」なのです

「生きグセ」はつまり生き方のパターンであり、ある種の「習慣」ですから、それを否定するだけでは何も変わりません。
例えば「寝坊グセ」を治すには「寝坊グセ」を自覚するだけではダメで、「寝坊グセ」を自己嫌悪したところで何も変わりません。むしろ自覚して自己嫌悪することで、より強固なものになる可能性すらあります。それがアイデンティティになるからです。「寝坊グセ」を治すには目覚まし時計をセットして、早起きをする努力しかありません。つまり習慣になるまで早起きを繰り返すわけです。こうして「寝坊グセ」という習慣は「早起き」という新たな習慣で「上書き」されました
「生きグセ」というカルマも同じで、劇的なカルマの解消法はなく、新たな「生きグセ」で上書きするしかありません。何がしかのヒーリングやセッションを受けたり、短期間のセミナーを受講したところで変わったりしないのです。確かに一時的に波動が変わることはありますが、パターンというのは道にできた轍(わだち)水道(みずみち)のようなもので、日常に戻ればいつものパターンに戻ってしまうものです。
ですから日々の積み重ねが大切で、事あるごとになりたい自分を自己宣言(アファメーション)したり、朝に晩に自己肯定感のあるイメージを潜在意識に送り込んだり、ネガティブな言葉遣いを避けるように意識するわけです。こうして薄皮を剥がすように徐々に変わっていくのが本来の「癒やされ方」なのでしょう。多くの受講生やクライアントを見てきてそう思うのです。
あとは本人の努力次第、がんばり方次第です。対象となるカルマの大きさにも個人差がありますし、早く変わる人もいれば時間がかかる人もいます

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今文明期初のボーナス・ステージ
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3月初旬からいろんな形でメッセージが来るようになりました。どうやら「精算しなさい」というメッセージのようです。
メンタル面でも状況的にも行き詰まりを感じて、これはあらためて「カルマを解消しろということか…」と思ったのでした。
では何のための「精算」なのか? おそらく「生まれ変わる」ためでしょう。
「風の時代」にふさわしい自分に「生まれ変わる」ため、「風の時代」に離陸できるよう「軽やかになりなさい」と言われている。ワクチンを打たなかったからといって、自動的に次の時代に行けるわけではないんだな…と思ったのは、そういう意味です。

呼吸も呼気から始まるように、息を吐かないと新たに吸うことはできません。コップの泥水を捨ててから綺麗な水を入れるように、ヒーリングセッションでも不要なエネルギーを抜いてからエネルギーを入れ直します。新しいものを掴もうと思ったら、これまで掴んでいたものを一旦手放さなくてはなりません。あくまで手放す方が先なのです。
「カルマの解消」を完了させてこそ、手に入る「ご褒美」があると、今はとても強く感じます。

3月24日頃に冥王星がみずがめ座に入座してから、6月3日頃に一旦離れるまでが「風の時代」の予行演習(リハーサル)期にあたりますこの時期にいち早く次の時代の波動を身につけることで、次の時代のリーダーになる資格を手にできると思われるのです。
これはある意味「ポジション・チェンジ」と言えます。野球でいう守備替え、仕事でいう配置換えです。配役を自己申請できるという意味で「夢のキャスティング」と言えるかもしれません。今は役割、使命、社会における守備位置を変えるタイミングなのでしょう。
おそらくこの間がボーナス・ステージで、この最中に自分のポジション・配役を変えてしまえるわけですこれはスゴイことかもしれません。
ゆっくり上書きすることなく、自分の望む最高のポジション・配役を手にしてしまってもいいとしたら、どうでしょうかめちゃめちゃワクワクしませんか?
これは2015年〜17年頃に光が垣間見えた時代以来の、巻き返しのタイミングであり、そしておそらくは今回の文明期では初のボーナス・ステージと思われます。

「魔女のエネルギー療法講座」板書より抜粋。
上方にある図は「人生を醸成するツボと4つのレシピ」を表したものです。
「カルマの解消」以外は全て潜在意識レベルの「上書き」のために必要なものばかりです。
普段から実現したいことをイメージし続けること、自己イメージ(アイデンティティ)とそれにまつわるアファメーション、普段からの態度と言葉遣い:口グセ(インカンテーション)の3つをすっ飛ばして(ショートカットして)望む人生のポジション(役割)を手に入れられるなら、こんなにスゴイことはないと思うのです
下方にある図は「魔女の三忽」という「妬まない・裁かない・コントロールしない」という戒めを可視化したものです。これをすると黒魔術(ブラック・マジック)になるよ、と言っているわけです。その背景にあるのは、妬み→卑下と劣等感・裁き→自罰意識と罪悪感・コントロール(支配)→他者への依存と無力感であり、これが最も愛から離れた自己否定感・自己無価値観の三悪の泥になることを示しています

これまでのしがらみやカルマを断ち切って離陸するときが来ました!
自助努力としてカルマの解消を済ませておけば、この間は「生きグセ」としてのカルマは無視して構いません
必要なのは自己申請で「やります!」と宣言するだけです
必要なのは「やる気」と「決意」だけでOKです
「やるんだ!」「やり遂げるんだ!」という強い思いさえあれば、どんなに高望みしてもいいとしたら…どんな自分を選択するでしょうか?

↓以下が今回のボーナス・ステージの最中に<自分のポジションを変えるセッション>になります。

・「これまで自分を認めてあげられなくてごめんなさい」と自分に謝罪します。
           ↓
・自分に1・2・3の氣(エネルギー)を送ります。
           ↓
・「過去の自分を赦し、手放します」と宣言します。
           ↓
・新たな自分、なりたい自分を宣言して「上書き」します。

この間はボーナス・ステージですから、「高望みしていい」時期にあたります。
「どんどん魂に願いなさい」と言われているわけです。
いつまでに何を手にするか、具体的に願ってください紙やノートに書き出しましょう。そして上記のセッションをやって、しっかり自己宣言してください
準備ができていれば、全て叶うと思われます

せっかくの機会なので、わたしもスゴイことをお願いしています。
「人類を闇から解放できるだけの力をわたしにください」とか…
「世界を引っ張っていくだけの力をわたしにください」とか…
「わたしは世界的なストーリーテラー、世界的なアニメーション演出家、監督です」とか…「今年中に○○を実現します」「今年の年収は○○○○以上です」とか…願うのは自由ですから、いいじゃないですか。

そしてあらためて、このボーナス・ステージをモチベーションにして、カルマの解消のセッションもがんばってみて欲しいと思います。

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日本人のスピリチュアリティ
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カルマは決して「罰」ではありません。それは軌道修正のエネルギーであり、光から逸れると苦しくなるという形で教えてくれているのです。
この「カルマの法則」の背景には「宇宙を善なるもの」と捉える見方があります
現在の地球のように「闇堕ち」してしまうとこの限りではありませんが、日本というのは特殊なお国柄で、大東亜戦争後までは…少なくとも明治維新までは「光を保っていた」文明でした。だからこの「宇宙は善なるもの」という見方と、わたしたち人間の本質である魂も「善なるもの」という「ダブル性善説」がわたしたちの文化・文明の中に通底していたのです。

古神道的な価値観は「魂=内在神」であり、造物主の「分け御霊」と考えます
誰もが「内なる神性」を宿している以上、互いに敬意を持って接するのは自然なことですし、罪人であっても本質は「善」であると私たち日本人は捉えていました。だからどんなに付き合いづらい相手でも「村八分」がせいぜいで、完全排除しなかったのです。島国ですし、列島全体が同胞という認識が古代からありましたから、残りの二分、つまり「火事」「葬式」だけは村全体で協力しました。
それはもう大陸の価値観とは全く異なります。近世以前のヨーロッパなら異端、異邦、不具の人間は処刑、追放が当たり前でしたから。
「外在神」つまり神を人の外に置く文化では、「罪」に対する神の裁きは「他罰的」になります。これは「一神教か多神教か」という比較以上に本質的な違いです。ギリシャやインドの神は多神教ですが、神と人は別格の存在です。
一方神道では森羅万象全てが神の現れという「アニミズム」があり、同時に日本人のご先祖様は高天原の神々ですから、「神人連続型多神教」という位置付けになります。
そして神道は「信仰」という以上にすでに「道徳」と化しており、長い歴史の中で「良心」として内在化しています。「内なる神」に恥じない生き方をしようとするのが日本人です。これが端的な意味での「惟神の道(かんながらのみち)」であり、日本人の霊性の高さはここから来るわけです。
しかしこの「内在神」の文化では「罪」に対して「自罰的」になりがちです日本人はもともと「罪悪感」が入りやすい国民性なのです。実際、GHQが仕組んだ戦後教育によって、私たちは「自虐史観」にすっかり染まってしまいました
前回の投稿「カルマの解消」のセッションでも解説しましたが、日本人は「劣等感」「罪悪感」「無力感」の「自己無価値観の三悪」から抜け出す必要があります
日本人の「利他心」は素晴らしいものですが、そのもう一方に「最高の自尊心」があってはじめてバランスが取れます
日本人は世界を救えるだけの霊性と、日本人の本来の信仰(古神道)には次の時代を担えるスピリチュアリティがあります
今こそ、日本人全員に<自分のポジションを変えるセッション>をやってもらいたいところです。そして「最高のアイデンティティ」と「民族の誇り」を取り戻してほしいと切に願います。

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