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< 人類の起源と「ミッシング・リンク」そして「日本人」の役割と使命 > 8/24一部加筆

前回の投稿< ポールシフトとアトランティスの崩壊 >では触れられなかった人類の起源と「ミッシング・リンク」のお話です。ぜひ前回の投稿と合わせてお読みください。

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人類進化の「ミッシング・リンク」
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ゴリラやオラウータンとヒト科の一番の違いは骨盤にあるのだそうです。
同じ霊長類でも、ゴリラもオラウータンもあくまで四つ足の動物の骨盤をしています。ヒト科は背骨が真っ直ぐに立っているため、骨盤(腸骨)に対して仙骨が「要」のように接続され、内臓を受け止める器のような形になっています。女性の方が骨盤が広いのは、妊娠時に子宮を支えるためです。
わたしたち人類の祖先は、あるとき木の上で真っ直ぐに背筋を立て、両手を自由に使えるようにしました。彼らは「サヘラントロプス・チャデンシス」と呼ばれています。今から700万年前の中央アフリカでの出来事です。
これはオスが求婚の贈り物をメスに届けるためだったようです。メスの欲深さとオスの虚栄心がサルをヒトたらしめたのは皮肉ですが、この瞬間からヒトはヒトとして進化を始めたとされています。しかしこのときの足はまだ木の枝をしっかり握っていました。彼らの樹上での暮らしはこの後まだ数百万年続くことになります。
この出来事はスピリチュアルな観点からも画期的でした背筋を立てることで「1のチャクラ」と「7のチャクラ」が縦ラインで繋がります。この瞬間に「天と地」が繋がったのです。「天」は造物主や神々の世界であり、「ハイヤーセルフ」や「魂」の領域です。「精神性」と言い換えてもいいでしょう。「地」「肉体」であり、「大地」や物質世界との繋がりです。このときから人類は自己の「魂」と繋がり、造物主と共にこの宇宙を共同創造していく資格を得たと言えます。つまり「万物の霊長」として特別な存在になったわけです。

彼らが地上に降り立って二足歩行を始めたのは440万年前とされています。2009年にエチオピアで発見された「ラミダス原人(アルディピテクス・ラミダス)」です。
これまでの学説では、氷河期に入り、広大な森林がサバンナに変わったことで地上に降り立ったとされていました。しかし440万年前はまだ「第四期氷河時代」ではありません。人類は森の中で地上に降りて生活を始めたのです。地上に降りたとき、一番の危険は子供たちが肉食動物に襲われることだったはずです。なぜそうしたのでしょうか?
そして最古の人類といわれた320万年前の「アウストラロピテクス」を経て、200万年前には「ホモ・エレクトゥス」の出アフリカが起こります
氷河期は258万年前に始まっていましたが、この頃には彼らによる石器文明が始まっており、この時代のハンドアックス(石斧)等も見つかっています。石器も文明の利器と捉えれば、彼らの文化も立派な文明と言えます。そして彼らは100万年前には東南アジアに進出し、「アシュール文化」と呼ばれる一大文明圏を築きました。彼らが発見された当初「ジャワ原人」と呼ばれていたのはここから来ています。しかし彼らはまだヒトの直接の先祖ではありません。頭蓋骨も小さく、体も毛むくじゃらでした。
わたしたちの直系の先祖である「現生人類」の骨は、30万年前のものがモロッコで発見されています。彼らが使ったとされる28万年前の最古の投げ槍の石器も見つかっています。そして彼ら「旧人類」の出アフリカは18万年前とされています。アフリカ南部で発見されたミトコンドリア・イブは14万年前の化石です。現在の女性たちにこの時代の遺伝子が引き継がれているのです。この頃はネアンデルタール人も出現し、12万年前には交雑も起こっていました。
問題なのは、100万年前のジャワ原人と30万年前の「現生人類」を繋ぐ化石が見つかっていないことです「類猿人」と呼ばれる二足歩行の猿だった「ジャワ原人」から、私たちと同じ姿形の「現生人類」にどうやって進化したのか?まだ定説がないのです。これが「ミッシング・リンク」と呼ばれる人類進化の謎とされています。

「ミッシング・リンク」には三つほど仮説があります。その一つが「洞窟進化説」と呼ばれているものです。
これは人類が「火」を発見したことで、洞窟の奥を生活圏にしたのではないか?という仮説です。実際にフランスのラスコー洞窟をはじめ、ヨーロッパや中央アジアには有名な洞窟壁画の遺跡があります。
洞窟の奥は雨風をしのげるだけでなく、夏は涼しく、冬は暖かく過ごせます。火を焚いていれば肉食動物を追い払うことも容易です。子供が襲われる心配もありません。こうして幼い頃から洞窟で暮らしているうちに体毛が薄くなっていったと考えられるのです。現に洞窟で暮らす動物たちは「ハダカウサギ」のように目が退化し、体毛が抜けて赤い地肌が露出しています。洞窟は密室ですから、体臭がきついのも厄介です。火があれば体毛がなくても暖が取れます。こうして人類は体毛を減らし、現在の姿になったというのです。
アカデミックな世界ではこれが有力視されています。つまり人類は「洞窟に引きこもった」おかげで現在の姿に進化したというわけです。
しかしこの仮説はいかにも西洋こそが文明の中心と言わんばかりのヨーロッパ史観を感じます。実際に洞窟で暮らした部族もいたでしょうが、今ひとつピンと来ません。

もう一つは「島嶼進化説」と呼ばれています。小名木善行先生が「ねずさんのブログ」でよく取り上げていますが、まだほとんど知られていない仮説です。
これは人類が地上に降り立った後に海辺に移動したのではないか?というものです。海辺には食べ物が豊富にあります貝やウニなどは拾うだけで手に入りますし、小魚も手で捕まえられます。こうして果物や木の実の食生に魚介類が加わり、動物性タンパクや脂肪分が多く摂れるようになったおかげで脳が進化したと考えられるのです。人類が森から地上に降りた理由はこれだったのかもしれません。
程なくして彼らは海に潜るようにもなったでしょう。潜ればもっと食べ物が手に入ります。そして沖に見える島に渡ってしまえば、そこには恐ろしい肉食動物はいません。島なら一方の礒が荒れていても、反対側に行けばたいていは凪いでいます。島に移住すれば安心して子育てができ、いつでも食べ物を取りに行けます。湧水があり、果物や木の実が採れる森もあれば理想的な環境だったはずです。
そして体毛があると水の抵抗があって邪魔ですし、陸に上がった後も乾くのに時間がかかりますこうして人類は水辺で暮らす内に体毛が抜けていき、現在の姿になったというのです。ミッシング・リンクの解答として、この仮説の方がより現実味を感じます。
イルカやクジラといった海獣は、元はカバのような陸上動物でした。現に今でもヒレに指の骨が残っています。人類はイルカやクジラのように完全に海に戻ることはありませんでしたが、数十万年もしくは数百万年間、半水棲生活を送っていたのかもしれません。
生物の進化には100万年単位の時間が必要ですから、440万年前のラミダス原人以降、もしくは258万年前の氷河期以降、わたしたちの祖先はジャワ原人とは別の進化の系譜を辿った可能性もあります。その化石が見つからないのは、当時の海辺は、残念ながら今は海の底に沈んでいるからでしょう。

三つ目の仮説は、地球外の存在が遺伝子操作したのではないか?というものです。
人間にそっくりのプレアデス星系の人々が、40万年前に、類猿人まで進化した当時の地球人の遺伝子をいじって「現生人類」を創り出したというのです。つまり人類の誕生は宇宙人の仕業というわけです。
90年代に読んだプレアデス系のチャネリング本にも書いてありましたし、最近ではCOBRAの言説にも同様のナラティブが語られています。COBRAによるとプレアデス人の遺伝子だけでなく、様々な宇宙人の遺伝子を加えてそれぞれの民族を作ったのだそうです。当時の地球は様々な星系から来た宇宙人の実験場だったのかもしれません。現住生物の遺伝子を弄んだという(過干渉の)カルマ故に、プレアデス人は今回の地球解放に積極的に関わっているといいます。
確かに40万年前はミッシング・リンクに相当する時代ですし、たった数十万年で猿人から人類に劇的に進化したことを説明するには遺伝子操作しかあり得ないという発想も理解できます。
ただこの仮説についてはこれ以上検証できないので、可能性の一つとして留めておくことにします。個人的には「島嶼進化説」と、この「遺伝子操作説」の両方が起こったのかもしれないと思っています。

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「海洋文明」と「大陸文明」の精神性
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人類が精神性に目覚めるきっかけについてよく議論されますが、それが「信仰」や「宗教」の始まりとされているからです。それは人が「死」を意識したときだろう…と一般的にはいうのですが、動物でも「死別」を理解し、感情を露わにすることがあります。
人間に限ったことで言えば、それは「太陽」の存在を意識し、その不思議を感じたことから始まったのかもしれません。東北大学名誉教授の田中英道先生は「太陽信仰」こそが人類の自然信仰の原初の形であると指摘しています。

ゴブスタン遺跡の岩絵。上に描かれているのが舳先に太陽を掲げた船の図象。

アゼルバイジャンにあるゴブスタン遺跡の岩絵には10人以上の人を乗せた船が描かれています。その舳先に輝く球は何を示しているのか? 「おそらく太陽でしょう」と田中先生は言います。この岩絵は太陽が水平線から登ってくる先に向かって漕ぎ出す様子が描かれているのです。他にも、踊っている人の姿や動物たちと共に複数の帆を持つ大型船も登場します。彼らにとって船と航海術が重要だったことが分かるのです。
人類はアフリカの東海岸に居続けても十分に食べていけたでしょう。その上で東に向かったのなら、「精神的な動機」があったはずです。太陽の不思議に目覚め、その恩恵に憧れ、さらに冒険心があり、船を作る技術と航海術を持った一団が、東へ向かって旅立ったと考えられるのです。

ポールシフト以前の赤道の想定ライン

18万年前の「旧人類」の出アフリカも、陸路ではなく、船を使って島伝いに移動したと見るべきでしょう。ポールシフト前の地球を前提にすると、当時の東アフリカから、アラビア半島、インド、東南アジアとずっと赤道直下にあり、気候も温暖でした。
また島の暮らしは定住が基本ですが、人口が増えてくると、新天の地を目指して若いカップルを数組み送り出したという伝承が、東南アジアの各地に残っています。こうして長い時間をかけながら、人類は東へ東へと伝播したと考えられるのです。
当時の南シナ海は「スンダランド」と呼ばれる広大で肥沃な大陸でした。そこからさらに島伝いに北東に進めば日本にたどり着きます。そして房総半島の東に広がる平野が「東の最果ての地」だったわけです。

伝説の「ムー大陸」や古事記に描かれた「高天原」はここだったのかもしれない。

当時の東シナ海は陸続きでしたから、海路だけでなく陸路も通じて、様々な種族や民族がこの地に集まってきたのでしょう。現に東北地方で12万年前の石器が見つかっています。精神性に目覚め、冒険心があり、技術と知恵を持った人々がこの地に集ったわけです。そして彼らが日本人の先祖になりました。日本人の精神性も、その優秀さも、手先の器用さも、様々な顔立ちの人がいるのもこれで説明がつきます
「文明の発祥は日本である」と唱える人がいますが、あながち間違ってはいないと思えます。日本で生まれた文明が今度は西へと伝えられ、スンダランドからインド、中央アジアのアラブやトルコあたりまで広がる海洋文明圏が存在した可能性があるからです。
何しろヒトの姿形は30万年前からほとんど変わっていません。脳の容積も今とほぼ同じで、ネアンデルタール人の方が少し大きかったくらいです。それなのに文明が誕生したのが7000年前と考える方がどうかしています
7万5000年前の「トバ・カタストロフ」によってこの「旧人類」による文明が滅びるまで、18万年前の出アフリカから数えて10万年以上、日本に文明が生じた12万年前から数えて5万年以上の歳月があります当時の赤道直下に高度な文明が成立した可能性は十分にあるでしょう。

このトバ火山の大噴火、いわゆる「トバ・カタストロフ」のスケールは凄まじく、セントへレンズ山の噴火規模の3000倍、1991年にフィリピンのスービック基地を再起不能にしたピナトゥボ火山の約200倍、1818年に同じくインドネシアで噴火し、ヨーロッパに冷害と大飢饉をもたらしたタンボラ火山の約20倍、7300年前に西日本の縄文文明を壊滅させた鬼界カルデラの破局噴火の3倍以上の規模とされています。
この大災害により、東アジアで栄えていたジャワ原人(ホモ・エレクトゥス)が絶命し、人類はネアンデルタール人、デニソワ人、ヒトの三種のみに絞られました。遺伝子の痕跡から、人類はこのとき1万組の夫婦からやり直したという「人類のボトルネック」説も存在します。ヒトジラミとコロモジラミが分化したのも7万年前なので、この最後の氷河期によって人類は衣服を纏うようになったとされています。
「氷河期」と一口に言っても、258万年前に「第四期氷河時代」が始まって以来、「氷期」4万年に対して「間氷期」が10万年程続くという緩やかなサイクルがあります。「トバ・カタストロフ」が起きなければ、間氷期はまだ続いていたはずなのです。実際「ヴェルム氷期」も最寒冷期は2000年ほどで、その後の6万年前〜4万年前の2万年間は継続的に温暖で湿潤な気候が続きました
私たちの直接の先祖である「新人類の出アフリカ」は5万8000年前ですし、アボリジニの南オーストラリアへの移住もこの頃とされています。4万年前のネアンデルタール人の絶滅は、この時期に一度寒冷化したことが原因という説もありますが、木の上から地上に降り立った440万年前以降、人類はずっと氷河期と共に進化して来ました。寒冷期であっても赤道近くは十分に暖かかったのです。
5万年前〜1万3000年前は赤道付近の海岸線を中心に、海洋文明が繁栄していた可能性は十分あるでしょう。今回の文明期も7000年前のシュメール文明から現代文明に至るまで、たった7000年しかかかっていません。おそらく1万年もあれば人類は高度な文明を発達させることができると思われます。もしかしたらこの間に文明の「滅亡」「再興」を何度か繰り返したかもしれません。今回の文明期が3回目とか5回目といわれる所以がここにあります。

スンダランドのジャワ原人を絶滅させたトバ火山の大噴火「トバ・カタストロフ」によって「ヴェルム氷期」呼ばれる最終氷期が訪れ、人類は一度リセットされることになります
しかしその後、5万8000年前の「新人類の出アフリカ」によって再びヒトは東に向かい、1万3000年前の大変動までの間、再び赤道周辺の海岸線を中心に文明が栄えたのでしょう。
おそらくそれは「平和的で、互いを思いやる文明」だったに違いありません。爪も牙もなく、一撃で相手を倒せる腕力もない現生人類が栄えるには、相和して、協力しあって生きていくしかないからです
そんな文明を支える海も豊かでした。回遊魚や鮭の遡上など、待っていれば向こうから豊かさがやって来ます。一人で釣りをするより、みんなで網を引けばさらにたくさん漁れます。協力し合った方がより豊かになれるのです。そして海は一人で出ると危険な場所です。いざというとき助け合わなければいけません。操船はそれぞれの役割をみんなでこなす必要があります。見張りも舵も漕ぎ手もみんな重要で、そこに上下関係はありません
また島の暮らしは基本定住です。時おり海の向こうからたどり着いた人を「客人(マレビト)」として歓待しました。一族に新しい血が入るのも大きかったでしょう。ごく稀にならず者がやって来ても、水際で追い返せば済みました。攻撃よりも防御が大切だったのです。基本的に水平線の向こうからは善いものがやって来るという認識だったでしょう。こういった精神性や価値観が、海辺で進化したヒトのベースにあったと思うのです。

これを仮に「海洋系民族の価値観」と定義すると、今回の文明期に現れた「大陸系民族の価値観」あまりにヒトらしくないように見えます。
この5500年間はユーラシア大陸に「殺戮の嵐」が吹き荒れました歴史的に見て、そこにはアーリア人の存在が大きく関わっていると思われます
アーリア人の特徴は背丈が大きく、手足が長く、金髪碧眼だったことです。寒冷地の特徴で鼻が大きく、目が落ち窪んで堀が深い顔立ちでした。これだけ見れば眉目秀麗で結構なことですが、その精神性が問題でした。
まず自分達が他の民族よりも優れていると固く信じて疑わなかったことです。他の民族を同じ人間と思っていなかったフシすらあります。これが「人種差別」「奴隷化」といった非人道的な価値観の源泉になりました。また彼らは自分の物は自分のもの、他人の物も自分のものという「ジャイアンのような」略奪嗜好の持ち主でした。略奪や収奪による豊かさを肯定するのは、盗賊や犯罪集団の思考です。これが後に戦争による侵略を肯定する「植民地主義」「帝国主義思想」を産みました。そしてさらに自分が正しいと思ったこと以外は認めない「独善的」な性格だったことです。そして厄介なことに、彼らは弁も立つし頭も良かったのです。自己保身のためなら約束も反故にし、自己正当化のためのダブスタや欺瞞も厭いません。彼らの中には常に「悪意」があるので、他者に対しても「悪意」を前提に考えます。彼らの思想や宗教は自ずと「性悪説」になりますそんな彼らが地球を侵略していく過程が今回の文明期だったわけです。
おそらく彼らは地球由来の魂ではないのでしょう。彼らの人類に対する同胞意識のなさからもそう判断せざるを得ません。彼らは一つ前の文明期にコーカサスポータルを通じて侵入した魂的な移民であり、霊的な侵略だったと今では思っています。これが今回が「闇堕ちした文明期」である理由です
メソポタミア文明やインダス文明、初期のエジプト文明も彼らによって滅ぼされましたヨーロッパでは先住のケルト人を追い出してギリシャ文明を作り、やがてローマ帝国を打ち立てますガンジス川の辺りにカースト制度を持つ文明を作り、中国大陸にも進出しました。周を滅ぼし、戦国時代の後に秦、漢、唐を築いたのも彼らだったかもしれません。孔子は青い目をしていたという伝説もあります。
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もミトラ教もヒンドゥー教も仏教も彼らの宗教です彼らが作る思想は激烈で、異端で殺し、宗教同士で殺し合い、人口が激減することもありましたこんな民族がユーラシア大陸を数千年も席巻したのです。こうして大陸系民族の価値観は大きく変化せざるを得なかったのでしょう。
対比させると以下のようになります。

   <海洋系民族>           <大陸系民族>
・水平線の向こうから          ・地平線の向こうから
 善いものがやって来る     →     ←   侵略者がやって来る
・客人・マレビト        →     ←  ・敵・禍(わざわい)
・敵は追い返す(防御)              →     ←  ・敵は滅ぼす(殲滅・虐殺)
・距離を置く(村八分)              →     ←  ・完全排除・皆殺し(聖絶)
・平和がデフォルト                      →     ←  ・戦争がデフォルト
・豊(食べ物)はもたらされる  →     ←  ・富(食べ物)を求めて出ていく
・漁(海)は一人では危険    →     ←  ・狩は一人で行ける
・漁はみんなで豊かに               →     ←  ・狩は仕留めたもの勝ち
・協力しあって生存を確保する  →     ←  ・奪い合って生存を確保する
・公平・平等社会                          →     ←  ・対立・階級社会
・与える文化(分かち合い)      →     ←  ・奪う文化(奪い合い)
・漁労・造船は共同作業・定住  →     ←  ・群れを追って移動・遊牧生活
・自給自足・交易による共存共栄 →     ←  ・略奪・使役・搾取による発展
・分掌・分業・共働                      →     ←  ・搾取・奴隷・使役
・手の文明(匠の存在)              →     ←  ・足の文明(V.I.P・英雄の存在)
・利他主義・共同体主義              →     ←  ・利己主義・個人主義
・共存共栄思想                           →     ←  ・競争排他思想
・「性善説」に基づく思想・宗教 →     ←  ・「性悪説」に基づく思想・宗教
・相互信頼社会          →     ←  ・相互不信社会
・価値相対的                                   →     ←  ・原理主義的
・「相互尊重」と「多様性」       →     ←  ・「独善」と一方的「強制」
・合議制(長老の存在)と多神教 →     ←  ・個人崇拝(リーダーの存在)と一神教
・君民共治(祭祀共同体)          →     ←  ・絶対君主制(専制国家)
・「仁愛」による統治                  →     ←  ・「正義と法」による統治
・「道徳」による内側の規範      →     ←  ・「宗教」「法律」による外側の規範
・思想・信条の自由                      →     ←  ・思想・宗教による束縛
・「自分」の確立                          →     ←  ・「自我」の確立
・おもてなし文化                          →     ←  ・サービス(T.I.P)文化
・お人好し・正直・潔い              →     ←  ・性ワル・悪辣・腹黒い
・真心(本音・本心から行動)   →     ←  ・儀礼的(表装的タテマエ主義)
・精神的価値 (魂を込める)      →     ←  ・即物的価値(金と利益が全て)
・「和合一体化」のエネルギー   →     ←  ・「分離相対化」のエネルギー

後半は日本的なものを意識して書き出しましたが、こうして見ると「海洋系民族の価値観」は「日本人的な発想」そのままであることが分かります。
そしておそらくこれが一つ前の文明期までの「あたりまえ」の生き方、「あたりまえ」のヒューマニズムだったと思われます。
宗教戦争に明け暮れていたアーリア人の「殺戮と収奪」は、15世紀以降、新大陸の発見と共に「外の世界」に向かいました欧米の「植民地支配」による有色人種の家畜化・奴隷化ですその結果、現在では海洋系民族の価値観はほとんど失われてしまったと言えるでしょう。
日本的な発想は世界から見て「特殊だ」とよく指摘されますが、ヒトが持っていた本来の精神性や価値観が、いつの間にか少数派(マイノリティ)にされてしまったわけです。

国家としてこの文化を保持しているのは、今や日本だけです。
しかも学歴のない一般人の中にこそこの「本来のヒトの価値観」が残っているように見えます。アカデミックな世界はユダヤ・アングロサクソン系で牛耳られていますから、近代個人主義に洗脳されたエリートや政治家には期待するのは難しいでしょう。何しろ今回は1万年分くらいの価値観の転換が必要なのです。

まだ希望はあります我が国は本来の人類の生き方を継承する唯一の独立国であり、日本人はその生き残りの民族です
日本人には役割と使命があります
日本人の「あたりまえ」が世界の「あたりまえ」になるように、世界を導けばいいのです。そのためにも日本人は絶対に生き延びねばなりません
それをまだ保っている日本人、それを思い出した日本人、それに気付いた日本人がその役割を担っていくのでしょう。

そんな未来を期待しつつ、靖国の英霊に手を合わせてきました。

8月10日の午後は雨上がりで、人もまばらでした。

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