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大切な人を亡くしたら、その人の「好き」を大切に。

僕の過去のお話です。

小学生の頃、読書が僕の楽しみでした。
年間200冊以上読み、その熱烈な愛が表彰されるほどでした。
本は、僕にとっては特別な存在で。
本当に、あらゆる小説を楽しんでいました。
ただし、その結果として友達は限られていました。何よりも一人の時間を大切にしていました。

僕が小学4年生の頃、転入生がやってきました。
彼は僕に、友人関係をもたらしてくれました。

彼は僕が持っていなかったゲームを共有し、時には自然での遊びの楽しさを伝えてくれました。
まず、僕が一人で過ごす時に
図書室の陰で声をかけてくれるような存在ですから、彼はとても人あたりの良い人で、
引っ越してきてたちまち、彼が中心となって
今まで関わっていなかったような、
色んな人たちが遊ぶようになりました。

中学生、高校生、大学生になっても、
僕と彼との関係は変わらず続き、彼のつてで沢山の交友関係ができました。

その日々はとても楽しく、
僕はずっと、彼と死ぬまで笑い合って生きていくのだろうと思っていました。

しかし、成人式のわずか数日前、彼はバイク事故で亡くなりました。
ガードレールにぶつかり首の骨を折り、
1時間くらいは跳ね飛ばされた茂みの中で生きていたそうです。

3年間、彼がいないという事実を思い返さない日はありませんでした。
そのくらい自分にとって衝撃的な出来事で
亡くなったという知らせを聞いた日からしばらくは、
現実を受け入れる難しさでいっぱいでした。

でも、その中で何より許せなかったのは、彼に対する批判でした。
友人は「バイクは危ないからね。」
ご家族は「私がバイクに乗ることをを許したから。」
ニュース記事の荒れたコメント欄では、「ざまあないね。」「バイクはバカの乗り物」など、文字に起こしたくもない罵詈雑言でいっぱいでした。

そこで、僕は彼が死んだ原因ともいえるバイクに乗ることに決めました。

僕は彼が死んだことを理由に、
彼が行った選択を非難したくなかったんです。

彼が何かひとつでも間違えたか?

今まで楽しいことばかり教えてくれた彼が、最期に「これは間違っているからやめておけ。」なんて言うはずがない。
絶対にそうだと思えたからです。

バイクに乗り、風を感じ、最高の景色を沢山見ました。
その時。彼が亡くなっても、
彼の存在が僕の中で生き続けていることに気づきました。

深く関わったからこそ
わかること。

彼と同じようにバイクに跨っていると、
もし彼が同じ風景を見たら、どんな言葉を発するか。どんな表情をするのか。
何となく、理解できることに気づいたんです。

彼の死から気づいたことは、大切な人は物理的な形ではなく、
心の中で生き続けているということです。


僕は彼がいなければ、親の猛反対を押し切ってまで、バイクに乗ることはありませんでした。

そして、心の中で生きているなど、気づけやしませんでした。

僕がバイクに乗ることは、
彼が生きた証です。

この記事を読む、大切な方を亡くしたあなたも、大切な方が好きだったことを
何か一つでも、
自分の人生に取り入れてください。

もう二度と会うことはできなくても、
自分の中で生きてくれているんだと、気づけるから。

その方がどんな形でこの世を去ろうとも、
あなたがそれを通して笑顔になるだけで、
生きた証になるから。


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