「共感すると嫌な顔する人」は承認欲求が目的なのでは?
皆さんの周りには、共感したり理解してあげたいという意思を元に行動をとったとき、いやな顔をしてくるような人はいますか?
それは、私のことです。申し訳ありませんでした。
突然ですが、目的論という言葉を知っていますか?この考え方は、人の行動を目的論に当てはめて考えた個人的な考察です。偏にこれがすべてではないということは忘れないように書いていきます。
共感されると、特別でなくなる。
サブタイトルに書きましたが、共感される行動というのは基本的に他の人も行っているので、そこまで特別ではなくなります。なぜなら、共感されたものだからです。共感には理解が必要であり、その最たる近道は経験することだからです。そして、特別でなくなる気がする共感のことを嫌がるわけです。
ただ、このままではなぜ特別である必要があるのかわからないので、それを目的論の考えで説明していきます。注意として、頭よさそうな単語使ってるだけで、間違ってるかもしれないので、突っ込んでいただけると嬉しいです。
その人は寂しさを感じる。
↓
ここで、気づいてほしいなど、承認欲求が芽生える(目的発生)。
↓
他の人がどのような考えで行動しているのか共感することで、別の方向へ行動する(共感を嫌がる)。
↓
他の人と異なった行動になり、注目を集めることができる(目的達成)。
以上です。
始めの「その人は寂しさを感じる。」はかなり詰めが甘いと思うのですが、承認欲求を感じる過程はさまざまあると思います。それは生まれながらであったり、いやな経験であったり、思い込みであったり。自分は何の専門家でもないのでわかりません。
しかし、ひとたび承認欲求が発生した時に、共感されるのを嫌がる点については説明がつくのではないでしょうか?
共感されるということは、多少でも他に理解できる人がいるということです。その考えから自分の行動を逃れるために、共感されることを嫌うという反応になるわけです。
性格の問題と片付けることもできる気もしますが、目的論としては上のように扱うことができると考えます。
この性格の人ができること!は創造的なこと!
自分なら、この見出しがあったら是非読むと思い書きました。なぜなら、自分が人の役に立ちたかったり、特別でありたいという考えがあれば、できることを知りたいと思うはずだからです。
もったいぶらないで書きます、、、、、
これは甘い考えかもですが、創造的な活動が得意なのではないでしょうか?
上の理論が正しければ寂しい経験から、ほかの人とは異なった行動につながる。これは創造的以外の何物でもないからです。
それに、浅い共感と感じることにはかなり敏感に嫌がりますが、ほかの人が考えて導き出した結論や多様性は、尊重して好む傾向にあると思います。
また、この反応をする対象も一定ではないように感じます。お前本当にわかってる?と感じるような人にはさらに嫌がりやすい気がします。それに、人付き合いがより苦手になりやすそうでもありますね。
実際自分は、大学生ですが夏休みにも関わらず、タピオカミルクティーは近くのスーパーで買ったものを飲む始末です。目も当てられません。
そして、このような、自分を評価されるような文章を読んでいると、ソワソワしている感覚もあると思います。他の人から認められたいので、認められているのかを知りたいんだと思います。
そして、共感をしようとした皆さんは、どう考えても悪くはありません。これは、胸を張ってほしいです。
本文は以上になります。
最後に
この記事を書いた理由はYahoo知恵袋で、なぜ共感を嫌がる人がいるのか?という疑問と、同じく自分もその疑問について考えていたので書きました。
繰り返しになるかもですが、自分はこの特性に当てはまっている気がします。人と違うことをしたがったり、みんなが見ている方向と逆を向きたがる感じです。「みんな見てるからいいや」、とか「こっちで新しいものを発見したい」の感覚です。
そして、自分の感覚と行動を自分で分析しているので、自分の都合のいいように考えて書いている節があるかもしれません。ぜひ、疑って読んでほしいです。
そして、繰り返し言いたいのは、共感しようと行動をした皆さんは悪くありません。ただ、共感という感覚をかなり嫌悪する場面がある。それは、あなたが嫌いなわけではありません。まあ、それは人によるのか(笑)。
結局よく言う、適切な距離感をもった人間関係がいいよねって話につながるのかな?
以上です。
追記20201119
共感をされていやがる人は、なぜ共感を嫌がるかにせよその行動を避けるようにしたほうが良い。
仮に、承認欲求を満たしたい以外で理由を考えるなら、それは人と違うことをすることで成果を上げたいという考えが無意識下であるという仮説もできると考えるからだ。
成果を上げるというと抽象的ではあるが、人と同じ行動を避けて何かを行うというのが今も含めて昔から自分の中にあるからだ。
そんな人は自分への戒めも込めて、人と異なる行動を邁進していってほしいところである。
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