見出し画像

無力感は物語で解決できはする

思い込みの力はおそらくすごくて、大げさに書くが「自分の仕事にて成果を出すことが人生のすべてだと思う」みたいな考えが最近覆される思考に至った。

「別にその限りではない」という見方である。その通りだと思った。

そして、それを真に受けて多くをやめたみた。そして、無気力というか無力というか脱力というか。まとまらない思考みたいな感じで、一日中何を考えてたかわからない、少し諭されれば焦燥感で焦りを感じてしまうような気分になった。

それもまあ当然っていえば当然であり、仕事ではなく熱中してみたのは多趣味という趣味であったがそれを始めたのも、何もしてないと自分の堕落性が自分を支配するようで、なんかなぁとか思ったからである。

で、いろいろ飛ばして結論だが物語が想像できれば理解することができる。そしてそれは安心とか情熱とか一種のエネルギーを人に与える気がする。

おそらくこの辺が興味があるなら参考になると思う。

その逆意見を理解したうえで行動を再開しようと考えている。別の反省も存在するので全くおなじというわけではないが。

メインは以上です。

考察

自分は無力感を得て、一般の人がそれを得ていないという仮説を立ててその原因を考察すると、自分は他の人がやらないことをやりたいみたいな、次男に見られる傾向若しくは革命を起こしたい的な考えが行動と思考を動かしているのが一因としてありそう。

一般は社会の流れとか、周りの流れや常識を昔はこうで最近はこうなってきたみたいな理解で通してるかもしれないが、常識を嫌うためそこで理解を得ることができず、自分の行動や経験に対して物語を生み出して活力を得ているのかもしれない。

幸福の一因に活力が含まれるのなら、自己物語性や常識、宗教などもくくって考えることができるのかも。

またそれる考察ではあるかもしれないが、その根底には集中と取捨選択に近いような、一つのことに集中することで幸福感を得るという考えもできるかもしれない。

そして、これら幸福の一因が明るいものであることが活力につながるのかもしれなくて、常識的に今後こうなっていくという理解があってもお先真っ暗だと、それを依り代にしている人は精神的に不安を感じたり、逆にそこで不安を感じる人は安心できる常識や思い込みや物語であれば安定できる方を選ぶのかもしれない。

幸福は主観の話なので客観的な結果や課題解決や意味合いを生み出していく考えも介入させていくのが公の利益につながるとは思うのだが。

今好きな曲

追記

20210201
物語を思い出すのは基本的に自分が何をすればいいかわからない思考に至ったときに意図的に試してみる行為の一つだと思った。
いつでも自分の物語を何なら作り出してそこに浸らずとも、なそうと考えている今の行動とか思考とか作業に集中を持ってくることで無力感に陥るということは避けられるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
なぜなら、今の自分が物語を考えずとも、そこまで卑屈に悲しさに浸っていないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?