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仏さまは"問い"を投げかける先生だった 【 ソーシャルデザイン"問い"曼荼羅 vol.1】

春秋社のウェブマガジン「はるとあき」で連載している『空海とソーシャルデザイン』では、弘法大師・空海の教えをヒントに、社会的な課題をクリエイティブに解決するために必要な5つの力、そして21の問いをまとめています。

その背景には、ソーシャルデザインとは、仏道でいう菩薩道そのものなのではないか、という僕なりの見立てがあります。

そこでモチーフにしているのが「金剛界曼荼羅」というもので、その中心には、空海の教えである真言密教の根本仏「大日如来」が坐し、その周りに1如来+4菩薩をひとつのユニットとして、20体の如来や菩薩が座しています。

金剛界曼荼羅というと通常は「三十七尊」でひとくくりなのですが、今回はシンプルに大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の「五仏」と大日如来以外の四仏の四方を囲む「十六大菩薩」、合わせて「二十一尊」にフォーカスして話をすすめます。

図にすると、こんな感じです。

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うーむ... 漢字ばっかりでとっつきにくそうですね。

もちろんすべてを暗記していただく必要はないのですが、ここで重要なのは、二十一尊それぞれが何らかの異なるテーマを象徴しているということです。

それはつまり、二十一尊は、ソーシャルデザインを実現するために必要な、シンプルで本質的な21の"問い"を投げかけてくれているということを意味します。どういうことでしょうか?

例えば不空成就如来大先生(緑)の上にいる金剛護菩薩先生は、ソーシャルデザインを実践する私たちを護ろうと、堅固な甲冑を持って「あなたはどんな知識や技術を磨いていくのじゃ?」と問いかけます。

あるいは阿閦如来大先生(青)の左にいる金剛愛菩薩先生は、清浄さを象徴する蓮華の飾りのついた矢を持ち、「あなたは執着を捨てた上で、どんなテーマを深めていくのじゃ?」と問いかけます。

つまり二十一尊は、ここで二十一"問"菩薩に姿を変えるのです。

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1ユニットの中心である5体の如来は、大日如来に備わる5種の智慧をそれぞれ備えていることから「五智如来」と呼ばれています。五智は自利利他のために行動する菩薩道に欠かせないものです。

五智如来の問いは別格です。例えば阿閦如来大先生は「Who?」、つまり「どんな存在として、ソーシャルデザインをするのか?」という切実な問いをわたしたちに突きつけます。

でもご心配なく。周りの金剛薩埵先生、金剛王菩薩先生、金剛愛菩薩先生、金剛喜菩薩先生は、「阿閦如来大先生の言うことはもっとも重要ではあるが、それだけでは掴みどころがなかろう」と、「Who?」を4つに分解し、さらなるヒントとして「どうする?」「何を思い出す?」「何を深める?」「何を楽しむ?」という、より具体的な問いを提供してくれています。

中心から周辺へどんどん開いていく曼荼羅とは、そういう優しい構造なのです。

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空海の教えである真言密教は、手のポーズや持ち物などたくさんのシンボルが散りばめられています。そして原典となる経典だけではその深みを掴みきれないため、シンボルの意味を紐解く注釈書も広く読まれています。

そのような教えを受け継いで来た方々の多大な努力を、僕は心から尊敬しています。一方、わたしたちひとりひとりが、そのシンボルの意味するところを自由自在に想像できることも、密教の魅力のひとつだと僕は考えています。

先程の例でいうと、どうして金剛薩埵先生が「どうする?」という問いを担当するのか。詳細は次の記事にゆずりますが、そうしたひとつひとつの見立てを強引に思われる方もいるでしょう。

それでもなお、僕はそんなやり方で曼荼羅を人生の一部としているのであり、違和感のある方はぜひ、みなさんなりにシンボルの意味を深めてほしいのです。

何かを求めているときこそ、曼荼羅と対話をしてみる。そうやって遠くの存在のように感じる仏さまたちが、少しでも身近な存在として感じられるよう願っています。

五智如来をソーシャルデザインの文脈で読み解くと...

次の記事から五回に分けて、阿閦如来(青)、宝生如来(黄)、阿弥陀如来(赤)、不空成就如来(緑)、大日如来(日)という順でみていきますが、この記事の最後に、五智如来について簡単に触れておきます。

「Who?」を担う阿閦如来は「揺るがない者」を意味し、「菩提心」を象徴します。菩提心とは「仏道を志す心」であり、ソーシャルデザインの文脈では「プロジェクトを発起しよう」という最初の決意にあたります。とはいえその決意は心の底から沸き起こってきたものなのか、たんに周りから流されたものなのか、見極める必要があります。そこでこの青グループでは、〈本来の自分〉をめぐる問いが続きます。

「What?」を担う宝生如来は「宝を生み出す者」を意味し、「福徳」を象徴します。福徳とはそのまま「幸福と財産」であり、ソーシャルデザインの文脈で言えば「何もない、ではなく、何かある」という視点に立つことです。そこでこの黄グループでは、〈リソース〉を発見するための問いが続きます。

「Why?」を担う阿弥陀如来は「尽きることのない寿命のある者」「尽きることない光輝のある者」を意味し、「慈悲」を象徴します。慈悲とは「苦を取り除き、楽を与えること」であり、ソーシャルデザインの文脈で言えば「小さなモヤモヤをきっかけに、社会に貢献するための大きな願いを育てる」ということです。そこでこの赤グループでは身近な違和感をきっかけに〈ほしい未来〉を描いていくための問いが続きます。

「How?」を担う不空成就如来は「確かな成就ある者」を意味し、「方便」を象徴します。「ウソも方便」といいいますが、「方便」とはもともと「人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段」を意味していました。ソーシャルデザインの文脈で言えば「自ら動いて社会に働きかける」という実践の大切さを教えてくれています。そこでこの緑グループでは「何かをつくる」という意味での〈デザイン〉をする上で心がけたい問いが続きます。

最後に「Whence?」を担う大日如来は「すぐれてあまねく光明を照らす者」を意味します。いってみれば大宇宙そのものの象徴です。あまり聞き慣れないWhence?は、文語表現で「どこから出てきたのか?」を厳かに問いかけます。ここでは十分に説明しきれませんが、この白グループはあらゆる可能性を包含する〈源泉〉とつながるという、他の4グループとは違う次元の違う問いが続くことになります。

ここまでを整理してみると、この菩薩道=発起×福徳×慈悲×方便×法界という図は...

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それぞれ、ソーシャルデザイン=本来の自分×リソース×ほしい未来×デザイン×源泉と読めるかもしれないのです!(ドヤ)

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と、まだまだアイデア段階ではありますが、僕にできることとして取り組んでいるのは、この「ソーシャルデザイン曼荼羅」をひとつのフレームワークとして、京都精華大学での実際の授業に応用することです。

その流れで生まれた「beの肩書き」のテーマはまさに「本来の自分」で、阿閦如来大先生はじめ、金剛薩埵先生、金剛王菩薩先生、金剛愛菩薩先生、金剛喜菩薩先生から多くのヒントを得たものだったのでした。

そして「リソース」では「勝手に日本○○協会」「ほしい未来」では「MOYAMOYA研究」「デザイン」では「スタディホール「源泉」では「0th Placeと、このフレームワークをもとにさまざまなワークショップを発明しているところです。


ということで次回は、ほしい未来をつくる〈5つの力〉をざっとみてゆきたいと思います。お楽しみに!

つづく ]

images: Buddhist Images Resource

はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎