who it 血


マンガのラジオ。板垣巴留回を聞きながら思ったことがあったので書いておく。(板垣巴留先生(BEASTERS他)は何も関係はない)
「プロットはクソくらえ」という言葉が飛び出たこの回。少し先の展開も終わりもあらかじめ決めずに描きながら決めていくという話。一方で魚豊先生(チ。他)は最後までがっちり決めて描くという話を挟んだりしつつ、とても面白い話だった。
それはそれとして自分はというと、同じように(と言えばおこがましい)、逆説的に言えば先々決めてやるということが苦手ということでもあるのだけれど、生感みたいなものが好きで、だからライブをやりたくて、飲みに行くことも好きで、現状今ここにいたりするわけで。その一方で、瞬発力が無いというのが自分の個人の性質としてあるように思ってもいる。
そのような矛盾にずっと縛り付けられているような感覚がある。
それは例えば、作って歌いたくて始めた楽器だったりとか、他人を大事に愛したい(水無灯里になりたい)だとか、ちょっと眠くて例はここで終わりにするけど、願望と性質の不一致が、これまでなんとなく、ずっとそこにあった、ある不足感の原因なのではないかと思い至る。 

あぁ、メモとして書こうと思って始めたけれど、もうあと少しで寝落ちてしまうので一旦ここまで書いておく。

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