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インタビュー調査の都市伝説・さらにあれこれ~「男子高校生」は本当に「しゃべらない」のか?

これまた都市伝説です。

確かに思春期のこの時期、大人に言えないこと・言いたくないことや、友人に言えないこと・言いたくないこと、色々あります。しかしそもそもインタビュー調査に自ら応諾して調査会場に来るからには話す意志はあるわけです。でなければそもそも応諾しません。この時期だからこそお金をもらっても嫌なことは嫌なのです。また、大人にだって話せないこと、話したくないことはあります。この時期特有の問題ではありません。しかもインタビューでは必ずしも話したくないことを訊き出されるわけではないのです。

つまりはこれまた「沈黙」の構造一般の一類型でしかないということであって属性一般の問題ではないということです。

但し配慮するべき点はあります。例えばこの年代では人格の確立が未成熟でありエゴが勝ちがちであるということ。ボキャブラリーや表現力が未熟だということ。大人に比べて狭いコミュニティで生きているので社会性が未熟だといったことなどです。

それらによって、例えば大人なら建前でお茶を濁すという行動を取る場面でも彼らは沈黙や発言拒否という選択をしがちです。アスキングされても話すことがないとか、言語能力の低さからそれ以上に表現のしようが無いのに、しつこく根掘り葉掘り訊かれると余計にそうなるでしょう。精神的なトレランスが小さいので、良かれと思ってインタビュアーのオジサン、オバサンがタメ口を使うと反感を持ったりもしがちです。親や教師など大人に理解してもらえないフラストレーションを持っているとオタクの人たちと同様に、「わかった風」に反応されても反感を持ちます。

しかし、程度問題はあるにせよ、これまたそんなことは大人にもあることです。逆に大人一般よりも能力の高い高校生もいます。例として、おバカな芸能人も高校生も数多いる中で、芦田愛菜さんは大人顔負けの素晴らしいコミュニケーション能力と精神的成熟度を持っていると思います。

つまりそれらは、どんなインタビュー、どんな対象者でも起こり得ることなのです。要は、「色々な人たち」に好感を持ってもらえるようにインタビュアーの側が相手を慮る対応ができれば問題はないということです。高校生で問題を起こすインタビュアーやリサーチャーは他の属性でも問題を起こすということです。そもそも対象者を慮ることができない人間はインタビュアーやリサーチャーとしてふさわしいとすら言えません。リサーチとは対象者を慮ることそのものだからです。

「慮る」とは相手の身と気持ちになって考えられることです。それには精神的な成熟が必要です。即ち、「精神的成熟度」は高校生の側の問題ではなく、インタビュアーやリサーチャーの側の問題だということです。師匠の油谷先生はこの点を強調されていました。相手を慮ることなく、ただ聞き出したい回答を得る対象としか見られない未熟な精神的成熟度ではインタビュアーは務まらないと断言されています。

精神的トレランスやボキャブラリーの狭さ、あるいは社会性の未成熟や人生経験の少なさによる問題は「お作法」の趣旨説明や自己紹介が不十分なことや「アスキング」によってS/C領域に踏み込まれることなどなどによって増幅されてしまいます。社会性がまだ十分で無いがゆえに、その場で求められるふるまい方や出席者間の類似性の共有などは大人以上に重要です。余談ですが調査の内容によっては、学校のランク、偏差値なども気にされることだと思われますから、あえて学校名は紹介しないとか、制服ではなく私服で来てもらうといったことも「類似性」の配慮点として必要なことがあります。

中高生はコミュニケーション能力が高くないからと知り合い同士を同じグループにすることがありますがこれも良し悪しで知り合い同士だからこそ話せないこともあります。むしろその場限りの知らない同士の方が本音を吐いて帰れることも多々あります。

しかし、それもこれも大人でも全く同じことです。

インタビューの運営、進行観点での沈黙の要因の構造はすでに以前の記事で説明済みですが、下図は対象者の心理観点での沈黙の構造図です。この中で、高校生などの若年層においては右にある「司会者や他の出席者への反感」ということが出てきがちだということを上記したわけですが、それも大人にもあることです。

しかし若者が持ちがちな「大人が自分の話を理解してくれるのか?」という疑問はインタビュアーへの発言意欲を下げるわけですから、彼らに対してはやはりデプスよりもグルインとするほうが妥当だと言えます。大人が訊き出そうとしなくても、彼ら同士の話し合いを傾聴していれば良いわけです。

最後に私自身がインタビュアーを務めた中で印象的だった事例の紹介をします。実はそのグループインタビューは15年ほど前に私が初めてオンラインで実施したものでした。対象は男子高校生でした。当時すでにSkypeはあったと思いますが、まずはその「新しい」仕組みに興味津々で臨んでくれました。私も正直に「私もこれやるの初めてなので何か不都合があったら遠慮なく言ってくださいね」と伝え、一緒に楽しむスタンスでした。

その調査の目的はある清涼飲料水の広告開発のための価値探索でした。とりわけ、それを飲んだ時の気分をどのように表現するのか?というのが課題の核心でした。

そこで工夫した話題は「国語のテレビ授業のつもりで〇〇を飲んだ時の気分をどう表現するのか、今までの経験を例に出しながら話し合いましょう〜私は先生役になって皆さんの話し合いを聞かせてもらいます。」でした。

この一言で彼らはこの「インタビュー」が自由討論の授業や学級会のように進められるということと、話し合いの内容、目的をたちどころに理解してくれました。つまり彼らの持っている知識や経験で理解ができる表現であったということです。そういった点に配慮は必要です。しかしそれはすべての属性について同じだと繰り返しておきます。

活発に議論が行われた結果、どれも秀作と言えるような表現が収集されたのですが最も印象に残ったのは「例えるならば、夏の暑い日にプールで潜水競争をしていて、記録達成だけど耐えきれなくなって浮上して息を吸い込んだ時の開放感や達成感みたいな感じ」という表現でした。まさに「スカッと爽やか!」(笑)な印象です※。

※しかしこの年代はもはや「スカッと爽やか!」という伝説のキャッチコピーは知りません。読者の方もわからないかもしれません、わからない場合、ググってください(笑)。

これで彼らの本当の姿を見た気がしました。こんなに物凄い(と私は感じる)表現がでてくるのです。「話さない」や「表現力が未熟」とはまさに大人が自分の都合や固定観念でそう決めつけているだけで、やはり「都市伝説」でしかなかったということです。

そういえば自分の高校生の時を考えると日ごろ今より話していましたし、今よりも表現力もあった気がします。だとすると「高校生は話さない」と決めつけている大人は彼らにとって「自分達を理解してくれない」大人の代表でもあるということであり、その大人に彼らが心を開いて話してくれるのか?ということを考えてみるべきだと思わされた次第です。




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