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インタビュー調査の常識・都市伝説のウソを暴く~「日本人ではグループダイナミクスが発生しない」というウソ

私の記憶が正しければ、調査・マーケティング業界では著名なある方の著作にある話です。

その方は元々メーカー勤務のマーケティング担当でいらしたそうですが、その時代になんと200グループのグループインタビューを行うというプロジェクトを実施されたそうです。その全てのセッションをご覧になった結論として「日本人ではグループダイナミクスは発生しない」と主張されています。グループインタビューとは元々アメリカ発祥のものだと思いますが、そこでは幾多の「グループダイナミクス発生」の事例があるはずのものが、自分が見た200グループにおいてはグループダイナミクスは発生しなかった。故に、日本人ではグループダイナミクスは発生しないのだ、という論理です。この方はグルイン全否定で、それ以後デプスインタビューしか実施しなくなったということでした。

しかし、この説には簡単に反論し論破することが可能です。何故ならば日本でも大なり小なり毎日のようにネットで発生している「炎上騒動」は正にグループダイナミクスの発生現象だからです。この方の時代だったとすると、例えば「学生運動」の盛り上がりや、そんなに大きなものではなくても「島国根性」と呼ばれるような「コミュニティでの陰口の盛り上がり」などもすべてがグループダイナミクスの発生に他なりません。むしろ日本人の方が「同質性」が高いだけにそれが発生するとより激しくなるのかもしれないとすら思われます。

ではなぜこの方のご覧になった200グループでは「例外なく」グループダイナミクスが発生しなかったのか?

ご本人が講演された際にお聴きした話ですが、この時、グループ間の比較や量的な検証も行いたいということで、調査は単一の調査会社が行ったそうです。つまりこの200グループは各グループの属性条件以外は同一の調査設計で行われたものだったということです。また「量的な検証」を行うためにはインタビューフローは多かれ少なかれアスキングタイプであったと想像されます。そもそも「200グループ」という設定は量的に処理しようとすることが1つの主要な動機であったでしょう。また背景として、以前の記事ですでに昭和の時代から「巨匠」達のアスキングへの批判があった事実もお見せしています。つまり「アスキング」が跋扈していたということです。

つまり、この「200グループ」の現象はそれが「アスキング」で行われていたからではないか?、と考えるのは合理的だということになります。「200グループ」もあればそれこそインタビュアーは「エキストラ」であった可能性も高いと考えられます。

しかし、そのような検討無しにこの「日本人ではグループダイナミクスは発生しない」説は一人歩きし、都市伝説化しています※。

※正確に言うとこれは 「グループダイナミクスが発生しなかった」のではなく「皆んな自由に話さないから、自分も話さない」という「負のグループダイナミクス」と呼べる現象が発生したのではないかと考えます。日本人にもグループダイナミクスが発生することは明らかな事実なのですから、「皆んな自由に話さない」という現象は実はグループダイナミクス(集団力学)による現象なのではないかということです。しかし、以下では一般的に言われるところの「話が盛り上がる」という意味でのグループダイナミクスについて論じています。


さて、この事例の真実はさておいて、そう考えるのが合理的であるという理由を論じてみたいと思います。深層については「沈黙問題」で詳しく説明しましたから、もっぱらこの図の下半分の部分で説明します(つまり、そもそもの根本原因・背景は同じだということです)。

毎度の分析図ですが、これによると
「グループダイナミクスが発生しない」(文脈の分裂⇒話し合いにならず影響し合わない)
という現象は「お作法の不徹底」による「集団形成が不十分」という原因と、それに加えて「アスキングタイプのインタビューフロー 」による「指名と一問一答による設問間と対象者間の分断」という原因から発生しているということです。

「集団形成が不十分」ということは「目的・成果・進行などが共有されていない」ということです。具体的には以下の「話し合いのルール」にあるような説明がされていないということによってそれは発生します。

つまり、「異論や反論も歓迎される自由な話し合い」(進行)であることによって「より多様なエピソードが得られること」が目的であり成果となる、ということが調査主体側と調査対象側、あるいは対象者間で共有されていないということです。これでは対象者には「自由な話し合い」が歓迎なのか非歓迎なのか、「その場のふるまい方についてのルール」がわからないわけです。そして「インタビュー=アスキングの通念」から質問されるまでは何も話さないという態度が自然に形成されます。

その状態である対象者に「アスキングタイプのインタビューフロー」によってインタビューを行えば当然、「質問されなければ話さないし、聞かれたから答える」という状態に陥るのは必定です。

さらに「指名」「一問一答」には重大な問題が潜在しています。まず第一にそれは「調査主体側の意識の有無に関わらず、インタビュアーと個別対象者の1対1のコミュニケーションであることが調査対象側にノンバーバルに伝えられてしまい、その結果、対象者間のコミュニケーションを阻害・分断する」ということです。その結果、インタビューの場のコミュニケーションはグラフ理論でいうところの「完全連結型」ではなく「ホイール型」に陥ります。それによって対象者が相互に関係・影響し合う結果としてのグループダイナミクスは発生しなくなります。そもそも「インタビュー=アスキングの通念」があるのですから当然のことです。

もう一つの問題は、設問間と対象者間の「文脈」(話の流れ)を分断することです。そもそも対象者間が指名によって分断されることに加え、一問一答によって設問間の話の流れも分断されてしまうので、全体として「ホイール型」の質疑応答によって各対象者がインタビュアーの質問に回答しただけの文脈のつながらないバラバラの情報にしかならないということです。つまり、やはりお互いに影響し合わないために「グループダイナミクスが発生しない」という結果となります。しかもそこで得られた情報は文脈が分断されているので構造化がされていません。つまり1発言=1レコ―ドとして「分類」することしかできなくなるわけです。

そしてそれはさらに設問間の「余白」や「行間」あるいはそこからはみ出す領域の情報には広がっていかないということになります。

以下の図はその状況をイメージしたもので「分断理論」と呼んでいます。リスニングでは赤い矢印のように縦横無尽に自由に文脈が紡がれるはずのものがアスキングを行うことによって青い矢印のバラバラの情報しか得られないということです。

上記のグラフ理論の図の中にShawの理論に触れています。ホイール型では効率は良いが「単純な作業」にしか対応できないとありますがそれは正に「質疑応答」という単純な作業しかできないということであり、文脈を紡ぐ「話し合い」という複雑な作業には対応できないということになります。しかしこれは逆にアスキングでホイール型になってしまうからこそ、構造化されていない単純な情報しか得られないのだ、という見方もできます。

しかし、それでも、アスキングのグループインタビューでも「盛り上がる」ことがあります。それがどんな時か考えてみますと他にもあるかもしれませんが、たまたま隣や向かいの人に話しかけるような「おしゃべり」な人がいる場合やインタビュアーが打ち合わせなどの目的で席を外した場合が思い当たります。

このような場合、「指名」や「一問一答」の縛りがなくなり、それによって対象者同士のコミュニケーションが「偶然」に始まるわけです。

つまり、「今日の対象者は良かった」というのは正にこのような「偶然」が話の盛り上がりをもたらしているときに言われる言葉だと思うわけですが、「指名」と「一問一答」を行っている限り、どこまで行ってもそれは「偶然」でしかないということです。

尚、このような場合対象者を「野放し」にするとどんどん話をしてくれるのですが一問一答に戻ると熱は冷めてしまいます。また、「なぜさっきまでこんな話をしてくれなかったのか?」と問いかけると驚いたように「こんな話でよかったのですか?」という質問が返ってくるのが常です。

これらは上記の「お作法」と「フロー」の問題が如何に影響しているのか、という証拠となります。




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