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インタビュー調査の都市伝説・さらにあれこれ~「デプスインタビュー」伝説②~「人前で言いにくい話」に向いているというウソと本当に向いていること

デプスインタビューの採用理由として良く言われるのは「人前で話しにくいこと」の場合、です。具体的には、病気、性、収入、宗教、政治などの話題などが挙げられます。また私が依頼された仕事の経験として「オタク趣味」といったこともありました。

しかし、これらの話が本当に「人前で話しにくい」ことだったとしたら世の中では「下ネタ」話が盛り上がることがあるわけがありません(笑)。

「オタク趣味」が人前で話しにくいことなら、「コミケ」などのオタクイベントに堂々と参加できるわけがありません。あの盛り上がりは一体何なのか?

つまりこれらの話題が「話しにくい」ということ自体が「都市伝説」であるわけです。

しかしその一方で、本当に人前では話しにくいことだったとしたら、
「見ず知らずの場所」で「見ず知らずのインタビュアー」と「一対一」になると本当に「話しやすくなる」のか?
ということを虚心坦懐に考えてみれば、「人前で話しにくい話題はデプスインタビュー」というのがこれまた、ウソ偽り、まやかしの都市伝説だということも明らかでしょう。

「話しにくい」ということはその結果として「話の低調さ・沈黙」を生じるわけですから、この問題は先に論じた「沈黙の構造」の一部として考えることができます。特に、「趣旨説明」と「リクルート」の問題です。例えば、外見上はわからない病気や性の悩み、経済や生活の状態、あるいは宗教や政治の信条などについて「類似性」(共通項目があったり同質であったりすること)を持っている集団だということが趣旨説明や自己紹介で明らかになれば、その話題について、むしろグループの方が話しやすい状況になるということです。「同病相哀れむ」ではありませんが、ホンネ話で異常な盛り上がりを見せることすらあります。例えばEDや薄毛の話題、発病者のガンの話題、暮らし向きに悩みをかかえる非正規雇用者の保険の話題、同程度の収入を持つ富裕層の投資の話題、共通するオタク趣味の話題、などなど私の経験だけでも枚挙にいとまがありません。

それらの事実が裏付けるのは「話しにくさ」とは話題そのものの問題ではなく、「相手が誰なのか?」という問題であるということです。調査会場で初めて対面する人たちはグルインの出席者であれ、インタビュアーであれ、相手の素性が知れないわけですから、共通の生活背景のある人なのかどうか、自分の悩みや自慢を受け入れてくれる人なのかどうか、あるいは自分の話を理解してくれる人なのかどうか、少なくとも理解しようとしてくれる人なのかどうか、などという判断ができず、それが「話しにくさ」になるということです。これは対象者の特性や話題の問題ではなく、インタビュー調査をする側の運営の問題です。すなわち解決可能な問題であるということです。

「相手が誰なのか?」という問題においては当然、インタビュアーもその「相手」に含まれます。素性のわからないインタビュアーと一対一であるということは、当然に、話しづらさは増すわけです。特に趣旨説明などが十分に行われず、調査の目的も明かされないような場合にはある意味「興味本位」で話を聞かれているなどと感じられることもあり、熱心に話そうというモチベーションも落ちます。そんな場合グルインでは「社会的手抜き」や「みんな話さないから」で黙っていることも可能です。しかし一対一でアスキングをすればウソやタテマエなどでなんとか誤魔化しながら曲がりなりにも「聞けば答える」式で話さなければなりません。それをもって「デプスの方が向いている」と称するわけです。しかしそこでもやはり発言は低調でしょうし、ホンネは潜在し、歪んだ情報になっていくわけです。

意外なことですが経験上オタクの人たちの場合、インタビュアーは自分たちの特殊な趣味関心ごとについて知らない人でも良いのです。白紙になって熱心にリスニングされれば彼らはここぞとばかりに自分の世界観を教えようとしてくれます。むしろ「知らない方が教え甲斐があって良い」とさえ言えます。しかしインタビュアーがうっかり口を滑らせて「わかった風なこと」を言うと、途端に、彼らは反感を持つようになります。彼らの深い世界をシロートがちょっと話を聴いてわかるはずが無い、というのが彼らの見方であるからです。シロートの癖に知ったかぶりをする人間だというレッテルを貼るわけです。それは発言意欲を低下させます。これも広い意味での「相手が誰なのか?」の問題です。そして質問するということは正に「わかった風なこと」を感じさせてしまうのでアスキングは大きな問題です。

こういった問題では調査関係者が自分たちの側に問題があると考えずに、「対象者」や「話題」に責任転嫁し自分たちの側が変わろうとはしなかったことがこのような都市伝説を生んできたと考えられます。もっと有体に言うと、前回論じたように、情報の量、質とともに実は優位なグルインの方が色々な意味で高度なスキルを要求されるために、結果としてなんとか格好のつくデプス推しの都市伝説を捏造してきたとすら思われます。

では視点を変えて、デプスインタビューを利用すべきなのはどんな場合なのか?ということになります。私自身の過去の体験を考察すると以下のような観点があると思います。

1,出席者間の「利害対立」が発生する場合
例えば飲食店の店長や経営者に経営上の悩みや対策、工夫についての話題でインタビューをしたことがありました。このような場合グループにすると「経営ノウハウ」や「経営状態」が競合や他店に漏れるということが懸念・警戒されます。すると発言は抑制されますからグループにはしない方が無難です。

アイドルグループの評価のような場合、推しメンが違うことによって強く対立することが予想されるような場合も配慮される必要があると思われます。

この観点で「人前でしにくい話」とは言い換えると「他の出席者と利害が対立する話」である場合だということになります。

2,個人的体験を時系列で把握しなければならない場合
例えばインターネットサイトのユーザビリティ調査のような場合、各自の利用手順や遷移動線によって使い勝手の印象・評価は変わってきてしかるべきです。つまり、対象者の利用行動と意識を手順・時系列を追って把握していく必要があります。これはグループでは不可能なのでデプスで実施する必要があります。逆に特定の利用手順や遷移動線を指定する場合はその点の配慮は不要ですからグルインにした方が良い、ということも言えます。

3,出現がレアでグループ編成が困難な場合~特に「類似性」の担保が難しい場合
発売間もないとか、マイナーブランドのある特定の商品のユーザーを対象にする場合などには出現率が低くリクルートが大変困難なことがあります。そのような場合、無理にグループにしようとすると年代が大きく違うとか性別が違うとか暮らし向きが大きく違う人を同じグループに入れるかどうかという問題が発生します。すなわちグループ内の出席者の「類似性」を担保できるのか?という問題です。何らかの類似性が担保できなければグループダイナミクスは発生しません。つまりグルインをやる意味がありません。従ってこのような困難が発生した場合や発生が予想される場合はグループではなくデプスにした方が良いということになります。中途半端に3人編成で「ミニグルイン」などというのもグループダイナミクスが発生しにくくなる一方で一人当たり時間は減るわけですからお勧めできません。

マーケティングリサーチにおいてそういう調査課題があるのかということは疑問ですが、この場合のバリエーションとして「きわめて特殊な個人体験」を調査対象とした場合も同様のことが言えます。

以上のような観点から、グルインとデプスに関してまとめると下表のようになります。










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