思索ノヲト

生きるとは。働くとは。 カテゴライズできない思索をことばにするノヲト(note)。

思索ノヲト

生きるとは。働くとは。 カテゴライズできない思索をことばにするノヲト(note)。

最近の記事

家づくりを考え始める

家づくりを考え始める。 きっかけは、無数にあった。 友人が環境問題に関心を持ち、コンポストや家庭菜園などについての発信を積極的にしていたのを目にしたのがきっかけ。 娘の野外保育から、田んぼの会につながり、地域の方々と一緒に田んぼに関わって、自分で育てたお米を食べる喜びを知ったことがきっかけ。 妻が洗剤を使わずに洗濯したり食器を洗う姿をみたのがきっかけ。 スーパーマーケットではなく、農家さんから直接買う野菜のおいしさを知ったのがきっかけ。 その農家さんの住むお家が、エ

    • 本を読むということ

      あるときから、出来事や感情に「名前」を付けることを躊躇するようになった。それは、なんというか、出来事の意味や感情の理由が、自分の思っている(感じている)(考えている)(知覚している)以上に繊細で、揺らぎを含んだものであるということが、少しずつ身に染みてきてからかもしれない。 僕にとって、「本を読む」という営為は、そのことを教えてくれる源泉だ。 本を読むとき。そこには、深みに漕ぎ出すような体感がある。自分の身体、精神、知性では思い抜くことのできない、感じきることのできない、

      • 言葉にすること、しないこと

        言葉にすることと、しないことがある。 言葉にしないと失われるものがあり、言葉にすると失われるものがある。別の言い方をするならば、言葉にするのには時があるし、時が来ないものもある、のかもしれない。 農やなりわい、という営為から僕が学んでいるものは、言葉にし難い。 環境問題、SDGs、自然と触れ合う……様々な言葉が溢れかえっているが、僕が農やなりわいという営為から学んでいることは、それらの言葉では収まりきらない「生」そのものに関することだ。これは、言葉にした途端、陳腐になっ

        • 新年

          2023年を迎えた。 新年というものはいつも、どこか清々しくて、それでいて寂しい。過去との訣別や意義付け、抱負や目標という未来の「単純化」に、戸惑いながら言葉を探す時間が意味がありつつも時に虚しい。その虚しさが嫌いではなかったりもするから、より解かり難い。 必要以上に整理せず、複雑は複雑として受け取る胆力を養いながらも、それが厭世的な姿勢を容認するような在り方には陥らず、一つの筋や物語、意味や目的をある輪郭で朧気にも見続けるような、そのような姿勢を身に着けていきたい。

        家づくりを考え始める

          問いかけるコロナ禍4

          すべてが終わったとき、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。―『コロナの時代の僕ら』パオロ・ジョルダーノ この問いかけが、僕の心を渦巻いている。 この問いには、いくつかの問いが内包されている。 それは、今の僕たちの「世界」とは、どのようなものか もっと言えば 僕たちはどのような「世界」を築いてきたのだろうか という問いだ。 この問いに、私たちには真剣に向き合わなければならない。 コロナはあらゆるものをストップさせた。 集まりを、旅を、イベント

          問いかけるコロナ禍4

          問いかけるコロナ禍3

          ニュースを見るのを、やめた。 ニュースの代わりは、1日に数回、 「NHK 速報」と検索することで済ます。 情報との付き合い方は、難しい。 情報は、人を動かす。心から。 「いつ終わるのかわからない」 漠然とした不安感が、決して落ちないシミのように、 心にへばりついている。 何を不安と感じるか。 これは、その人の本質をあらわす。 「不安」は「大切」の裏側だからだ。 経済に不安を覚える人は、経済が大切なのだ。 人間関係に不安を覚える人は、人間関係が大切なのだ。 不安とは

          問いかけるコロナ禍3

          問いかけるコロナ禍2

          STAY HOME この言葉に、得も言われぬ違和感がある。 STAY HOME おうちにいよう。 外出自粛。感染を防ぐために、人が動かないこと。 確かに、一番有効な感染拡大防止策の一つだ。 しかし、強烈な違和感がある。 その源泉を辿っていく。 簡単なことだった。 STAY HOME それは、HOMEがあることを前提としている。 このことばには HOMEがない人たちの存在が その想像から欠落している STAYするHOMEがない人たちがいる HOME-LES

          問いかけるコロナ禍2

          問いかけるコロナ禍

          最後のnoteの更新は、2019年5月23日。 今からちょうど1年ほど昔だ。 1年前の自分は、1年後の自分がこのようになっていることを 微塵も想像していなかった。微塵も。 進路を変更した。住まいを移した。 そして、この新しい疫病。 人間世界全体が揺さぶられるような事態に 自分も揺さぶられたり、逆に冷めてみたり。 この「コロナ禍」において「解決」や「答え」が待望されている。 いや、むしろ、 「解決」や「答え」が見えないことこそが、 一番の不安なのかもしれない。 解

          問いかけるコロナ禍

          階段

          先日、27歳の誕生日を迎えた。 ちょっと、驚いた。 すごく、時代が進んだように感じた。 26歳と27歳では、大きく何かが隔たっていた。 僕の世界観の一つに「階段イメージ」というものがある。 物事が進む、というときに、 坂のように徐々に上っていくというよりも、 ある日突然「一段」上ったと思う節目がある。 成長も、上達も、 あらゆる変化にこの階段イメージを持っている。 努力や時を重ねても、 一向に変わらない、進まないように感じる日々。 しかしあるとき、突然、変わる。

          柔和に至る闘争

          相手を納得させようと思ったら、 論破してはいけません。 相手が自ら納得するよう、 その人から言葉を引き出すつもりで 話を進めましょう。 ―暮しの手帖社 5月17日「今日の一節」 より 「暮しの手帖」が持っている、 独特の生活思想がとても好きで、 「今日の一節」はとても楽しみにしている。 今日の「今日の一節」には、 特にしっくりと染み込む感覚があった。 論破したいという暴力が 自分の中に疼いているのかもしれない。 相手の納得の先に 何を見据えているのか、願っているのか。

          柔和に至る闘争

          身につけるべきもの

          お金について考えるとき 人はちょっと「狭く」なる。 考えなくていいほど お金がある人はまた別だが、 大概の人はお金について悩む。 お金がないことを悩むのは 狭い世界に自分がいるという 足りなさの感覚に近い。 その思考はいつしか お金があれば…という形になり 現実への不満と不全感となっていく。 お金は本当にないのだろうか。 本当にない時は悩むにとどまらず 苦しむというフェーズに入る。 しかし、多くの場合は漠然と 「お金が足りない感じ」に ふわっと悩んでいるだけかもしれ

          身につけるべきもの

          怒りとともに

          仕事をしていると、思うように物事が進まないことは、よくある。 自分の能力不足だったり、不測の事態が起こったり。 ほかの人と一緒に仕事をしているのだから、ある意味当然ともいえる。 仕事をしていると、人格が試される。 聞くには早く、語るには遅く、怒るに遅く。 人格が試されるときは、成長のときでもある。 怒りをとどめようとすると、 脳みそにぐぐぐと圧がかかるのがわかる。 沸騰するようなエネルギーを、頭蓋骨が必死に食い止めている。 怒りとは、エネルギーだ。 ただの我慢では負荷

          怒りとともに

          仕事に向かう道

          夏のような朝だ。 草や花の蒸すような香り。 肌が空気に触れる懐かしい感覚。 日差しに細める眼はどこか笑顔のよう。 駅までの道を歩いていく。 今日も一日が始まる。 仕事について、考える。 何のために働いているのかと、問う。 仕事とは、生きる意味でなければならない、ような気がする。 仕事をしてなければ、生きる意味がない、という意味では決してない。 ただ、 仕事は、生きる意味でなければならないのだ。 家族を養うお金、でもいい 好きなこと、でもいい 世のため人のため、でも

          仕事に向かう道

          書くという行為

          「書き続けなければならない。」 今僕はそう、実感している。 書くという行為は、思索をことばにするという行為であり、 しかもそのことばを「残す」行為だ。 或る雑誌に全12回書いた連載が、今年の2月で終わった。 フォトエッセイという形で、取り留めもない思索を、ゆっくりと書いた。 これが、とても、良かった。 自分の中でことばにしてこなかった一つ一つの光景が、 ひとひらずつ思索となり、ことばとなっていく。 いちどことばとなった光景は、誰にも奪うことのできない光景となる。 無意

          書くという行為