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本棚ーなんども読むnoteー

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読みながら涙が出たnote、ニヤニヤが止まらなかったnote、誰かにおすすめしたいnote。本棚に並べておきたいnoteたち。
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#ゆたかさって何だろう

この割れ切った世界の片隅で

コロナウイルスが社会に与えた最も大きな影響は、見えづらかった社会の分断を可視化したことではないでしょうか。 ステイホームできない、明日を生きるのすら精一杯な人。パソコンを持っておらず、家では完全に社会から隔離されてしまう人。勉強ができるような家庭環境でない人。外で遊ぶ自分を自慢げにSNSに載せる人。「クラスターフェス」と称し、コロナに積極的にかかろうとする人。感染者を引っ越しにまで追い込む地方の村社会。 普段暮らしているとそのような人と出会わない、という人が殆どでしょう。

人は変われる。ただし2年かかる。でも、絶対に変われる。

今の世の中は他人の不安をあおる言葉が多いように思います。 「このままでいいの?」 「圧倒的努力してる?」 「好きなことや、やりたいことで、生きていこう!」・・・ 僕はそういうこと言うの好きじゃないですが、無意識のうちに僕自身も日頃のSNSや、note、Voicyなどの発信の中で、誰かを不安にさせてしまっているかもしれません。特に日本人は、遠い将来への漠然とした不安と、他人との比較を心に抱きがちです。僕も不安になりやすい方です。 実際は、人は生きているだけで大したもの

傷つくこともできない私たち

傷ついて、涙が枯れるほど嗚咽して、絶望して途方にくれて、でもその時に、いやそのときだからか、その絶望の後にぽっかりと灯る、確かな命のきらめきみたいなものを感じたことはあるだろうか。強がって無理して、自分をどこか失って、空回りしている時よりもひどく苦しいのに、それでもその曖昧な状態よりも、よっぽどましなところに来たと思えてくるような、もっとも悲痛なその物事の一番深いところにたどり着いてしまった人生の節目に、私はなぜか毎回安堵する。とっくにもうパワーがなくなってしまったと思ってい