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「どうして人のせいにしちゃいけないの?」と聞かれたら

昨日のこと、長男と夫が一緒にゲームをしていました。
マインクラフトにはまっているので、休日はよく一緒にやっています。
何かのトラップ装置を作るということで、解説動画をみながら作っていたのですが、結局Switch1.18版には対応していない装置の動画だったと判明し失敗に終りました。

そこで長男は「失敗したのはパパのせいだ!なんでちゃんと確認してから教えてくれなかったのか!」と激怒。

長男は今日この装置を完成させることを1週間楽しみにしており、今日この成果を得るということを決めていたので気持ちはわからなくない。

夫としてはやりたいというから協力したのに、動画も一緒にみていたのに、気づかなかったのはお互い様だろうと。お前も悪いだろうという言い分。

ケンカが泥沼化してきたので、私は一旦長男を散歩に連れ出すことに。

「パパのせいで失敗した。パパが悪い。」と歩きながらも繰り返す長男。

でもパパのせいだけじゃないでしょう?あの動画だって、最初にそこは説明してなかったし、と言っても「それでもパパが悪い。」と。

私「なんでも人のせいにするんじゃないの。」

長男「こういう性格になったのもパパとママのせいじゃん。」

私「性格は生まれつきもあるし、これから考え方を変えていくこともできる
  でしょ。弟だって同じ親だけど性格違うじゃない。」

長男「じゃあなんで人のせいにしちゃいけないの!?」

私「・・・」

私は長男が納得する説明をすることができませんでした。

「人のせいにしてはいけない」

私自身も、親に言われてきたと思います。
人のせいばかりにするな、自分にも責任があるだろうと。
はたして本当にそうなのか。

自分の人生なんだから自分で責任を持てということだろうか。
逆に、なんでも自分のせいだと思う子だったらどうだろう。
いつも自分を責めてしまうのではないか。
そうしたら私は長男に言うだろう「なんでも自分のせいだと思うんじゃないよ」と。

人のせいにすれば、自分は楽になれる?

自分は悪くない、あいつが悪いから失敗した。
そう思えば自分は傷つかずに済むのだろうか?
そういうときもあるだろう。
自分には責任はない、と。だから自分は大丈夫だ、と。
心が弱っているときは、それもひとつの防衛本能でよいのかもしれない。

でも、あいつが悪いと怒りを感じることは、自分は楽になれていない気がする。よけいに執着したり、怒りで自分の心を痛めているのではないか。

「誰が」悪いのかではなく「何が」悪かったのか

自分に非はなくても失敗することはある。
「誰か」のせいで失敗することもある。
でも「誰か」が悪い、「自分」が悪い、と人に原因を結びつけることは何も未来につながらないと思う。

自分でも他人でも、自然でも環境でも、「何が要因だったのか」をみつけることが大切だ。
その「何か」が分かれば、これからは避けることもできるかもしれない。
今回の場合も、「パパが悪い」「動画を作った人が悪い」ではなく、「最初に一緒に確認しなかったこと」が悪かったというだけだ。

あれ、これって「罪を憎んで人を憎まず」ということか?
昔の人が既に教えてくれていた。

長男には、この話と、次は最初に動画を最後まで見て設計図を作ってからやってみようという提案をすると、納得してくれた。

私自身も「自分が悪かった」と落ち込むことが多いので、今回の長男との話を忘れず「何が」悪かったかを分析して次回につなげるようにすれば、必要以上に落ち込むことがなくなるのではないかと思った話でした。

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