じいちゃんは俺の手の中で生きている
"スシュンって字綺麗だね。"
大学時代、カラオケでの予約をとるあのシート的な紙に、必要事項を記入したときに友人に言われた言葉。
大学に入ってから字を人に見られる機会はなかったし、そう言われることもないから、ビックリしたのを覚えている。
そもそも俺が字が綺麗なのは、じいちゃんに習字を習っていたからだ。
おれはじいちゃん子で、両親が共働きだったこともあり、すぐ近くのじいちゃんばあちゃんの家で過ごしていた。
そしてじいちゃんが書道が好きだったこともあり、火曜と木曜、お習字教室が開催されていた。毎回お題が出されて、その字を書き、じいちゃん直筆の赤字で修正され、また書いて、というのを繰り返していた。
つまり、おれが字が上手いのはじいちゃんのおかげだし、そういうふうにして作り上げた自分の書く筆跡の半分くらいはじいちゃんの筆跡ともいえる。
じいちゃんは中1のときに亡くなったけど、こういうふうに考えると、、
おれの手の中でじいちゃんはまだ生きているといえる。
そういうことにふと気づいたとき、なんか嬉しくなった。
もうこの世にはいないけど、俺の手の中に残り続け、生き続けているんだと思うと、急に強くなれた気がしたし、勇気をもらえた。
そういうふうに人生を眺めてみると、実はそんなことだらけだということに気づかされる。
父の口癖、母の犬との戯れ方、高校野球部での組織の振る舞い方、親友たちのとのおふざけが強すぎるノリとか。
そういうように、無意識に無限に俺の中に織り込まれている。
離ればなれになろうとも、もう会わなくとも、一緒にいた時間や過ごした時間は、きちんと自分の中に一部として残っている。
そう考えると、勇気がもらえるし、心強くなる。
みんなは俺の中で生きているし、俺もみんなの中で生きている。
ちゃんちゃん。
完全にハードル上げすぎた。。
#10回くらい書き直した #習ってたのは漢字だからという言い訳
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