スシュン

自分とコミュニケーションする場

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マガジン

  • 言葉、書く、考える、noteについて

    書くこと、考えること、noteについての記事のまとめ。

  • 何回も読みたいnote!!!!!!!

    ふいに見返したいnote

  • スシュン・ベスト

    自分のお気に入りというか代表作を5個選んでまとめてみた。ミュージシャン気取りのベストアルバム的なやつ。

  • 谷底から這い上がるためのハシゴ

    谷底に落下しっぱなしだったときに何とか見つけた足場。そして、そこから地上に出るまでに地道に作ってきたハシゴ。同じような谷底に落ちてしまった人は、この足場とハシゴをお使いください。

  • 下手くそが甲子園を目指した話

    ※3本構成で、1記事5~10分で読めるんじゃないかと思われます。

最近の記事

  • 固定された記事

本気で書いたnoteの数だけ、人はオーラが纏える。

自分は、どういうことを書くのかも決められないまま、なんとなくnoteを書きはじめた。 最初は何を書いているのかわからず、とりあえず、自分の頭の中にある何かを、言葉として外に取り出して、それをああでもない、こうでもないと、ごちゃごちゃさせてきた。 noteを書く度に強くなってたそんな感じで、自分なりのマイベストを出し続けて、いつのまにかちょっとずつ思考が明瞭になってきたし、進歩してきた。その日出したマイベストが、後日の思考に影響を与え、そして次のマイベストnoteがどんどん

    • 思想家や思想を勉強する意味

      文学部は就職に不利とか言われてたりする。それは役に立つ学問ではないからだ。 自分は思想家や思想を少し勉強してきたけど、思想なども同じような扱いだ。 じゃあどんな意義があるのか、本当に社会で役に立たないのか。そこまでの勉強をしてきたわけではないけど、思想家を勉強する意味について言語化してみる。 思想家を勉強するとは人、つまり思想家を研究するということは、その人の思想と全ての言動を繋げるということだと思う。 特に思想家と呼ばれる猛者は、かなり高度に抽象化された理論や独自の

      • 自分を前に向かせるコピーライター

        自分は大学1.2年の頃、コピーライターに憧れ、勉強をしたり、宣伝会議賞に応募してたりしていた。 けど、いいコピーを書くには、コピーの勉強以外のであったり、新たな専門性の獲得をすることが大事だとされていたため、違う勉強をはじめ、コピーから離れていった。 そもそもコピーとは、言葉を用いて人の心を動かし、企業のマーケティング課題を解決しようとするもの。そう考えるとその舞台は広告に限らないし、身の回りの日常生活にいくらでも潜んでいる。 そもそもよくわからない企業の商品のために、

        • 自分の人生に影響を与えた本とか10選

          自分の自己紹介的なのを書いていると書きたくなった。自分は基本本によって学んできた。だから本に影響を受けてきたし、動かされてきた。 自分史をなんとなく振り返って、特に自分に影響を与えた本を紹介しようと思う。 1.創造の方法学著:高根正昭 大学前半で読んだ。新書だけど内容は骨太。何回も読んで多分だいぶ頭はシャープになった。社会科学の方法論について書かれた本であり、因果と相関とかの厳密な理解ができる。また学問は、自分の日常に起こる問題や、仕事、恋愛などにも応用していけるし、応

        • 固定された記事

        本気で書いたnoteの数だけ、人はオーラが纏える。

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        • 言葉、書く、考える、noteについて
          5本
        • 何回も読みたいnote!!!!!!!
          4本
        • スシュン・ベスト
          5本
        • 谷底から這い上がるためのハシゴ
          16本
        • 下手くそが甲子園を目指した話
          3本

        記事

          noteと無関係なはずの自分がnoteを書くようになるまで

          冷静に思う。 順調にいってれば、自分の人生に本来noteというサービスが関わることはなかったんじゃないかと。 もともと野球バカで、ごりごりの体育会系で自己主張はせず集団行動が得意で、一人の時間が嫌いで常に群がるみたいな。そして、そもそも大学入るまで唯一読んだ本がハリーポッターのアズカバンの囚人で、それですら挫折するような人間。 そんな人間が、紆余曲折に紆余曲折を重ねて、本を読むようになったし、こうやってなぜかnoteを文章を書いたりするようになった。それっぽい文章を書い

          noteと無関係なはずの自分がnoteを書くようになるまで

          孤独な思考の七転八倒が、言葉に価値を宿らせる。

          パッと出した意見が面白かったりするし、話をしているだけで興味深いことを言う人がいる。 だが、それは当たり前だが、パッと出した考えでもなければ、思いつきでもない。 それは何百時間考え続けてきた思想や脳システムに、繋がった意見や考えだ。 パッと出る意見も、ふとした話も、決してその場で考えているのではなく、一人でながーい沈滞した時間をくぐって、出来上がった思想的なるもの、からポロっと生まれた意見だ。 「おれはこう思う」とか「こうだ」というような何気ない、目に見えるようなコミ

          孤独な思考の七転八倒が、言葉に価値を宿らせる。

          書くからこそ、わからないことがわかるし、勉強がはじまる。

          昔、本を書いている人は、自分がわかっていることを書いているのだと思っていた。 だが、文章を書けるようになりたいと思って、たくさんの本を読んでいく中で、"書く人たち"が言っていたのは、まったく違ったことだった。 とりわけ文章術の本の中でも好きなのが、加藤典洋の『文章表現法講義』だが、彼は確か、書くというのは、よりよく考えるための、自分と向かい合う経験の場、と言っていた。今手元にないからおぼろげだが、わからないことを知るために書き、勉強するために書くんだ、と。書くからわかるよ

          書くからこそ、わからないことがわかるし、勉強がはじまる。

          考えるという営みにも思春期がある

          思春期は間違いやすい。 自分も直近の友達がグレたから、その影響を受けてグレて、ワルさをした。でも、すぐに戻った。思春期にはよくあることだと思う。 ーーー 自分は、思考にも思春期があると勝手に思ってる 自分は大学に入ってから本というものを読み始めた。それまでは野球しかしていない猿だった。受験で読解することの楽しさを知り、大学に入ったら本をいっぱい読もうと思った。そして、本を読み始めた。 そして、それと同時に考えるという営みをようやく始めた。 何もわからないから、色ん

          考えるという営みにも思春期がある

          noteでよかったこと

          自分は訳あっていい大学を出ておきながら、くそにーと。 noteをはじめたのは、これをあってよかったことにするため。 この状況をポジティブに捉えたいし。普通に上手くいっている人たちを今後追い抜いていきたいし。こういう経歴をちゃんと前向きに昇華したい。その手段の一つとしてとりあえずだけどnoteを始めた。 noteを始める前、自分は孤独を感じていた。目の前のオフラインの現実世界を見ていると、みんなちゃっと全うに働いたり、うまくいっている人ばかりしか目には映らない。自分だけが

          noteでよかったこと

          会社は、人間が人間になるためのペースメーカー

          自分は今自由だ。でもそれが楽しいかと言われれば全然そんなことはない。 毎朝、自分で起きる時間を設定し、起きて何をするかも全部決めて、遊んでもいいし、だらけても許されるという環境で、何かをするのはめちゃくちゃ根性がいる。 欲に負けてだらけたら、自己嫌悪し、自分に打ち勝ってやるべきことができたときは、充実感を得られるのが人間。 そう考えると、この自由さはしんどい。 自分で自分をより厳しく見張っていなければいけない。やるべきことも自分で決めて、集中できる環境を整え、モチベー

          会社は、人間が人間になるためのペースメーカー

          身体の成長スピードが人それぞれなように、思考の成長も人それぞれ。

          下の毛とワキ毛どっちが早く生えるかは忘れた。ワキ毛の方が遅いんだっけ?下の毛は中1.2くらいで生えた記憶はあるが、ワキ毛は覚えていない。 早いやつで、小4でワキ毛ぼうぼうの奴がいた。身長も身体も成熟していておっさんみたいだった。そいつは脚も早く、野球もパワーが半端無かった。ついでにいうと頭もよかった。 でも高校になると、そしつはめっちゃ小さくなった。身長が小学生のときから伸びてないから。おれの方が今は10センチ以上も高い。そいつは脚もそんなに速くなくなったし、野球でも目立

          身体の成長スピードが人それぞれなように、思考の成長も人それぞれ。

          生きてることが重なり合うということは、奇跡やとナチュラルに思う。

          大学時代後半のメインの生息地は、図書館の地下3階の一番はしっこの席だった。 そこで自分は、思想や哲学系の本を読み漁っていた。ゼミでは東洋の政治思想を研究するゼミに入り、近代朝鮮の思想を勉強したり、個人的に思想家の本などをわからないなりに読んでいた。 そこで読む本は、時代も違うし、問題意識も違う。既に歴史が確定した現在からその時代を見るのではなく、まだどうなるかわからないものとして、その時代に身をおくようにして読まなければ、読めない。それは思想家においても同じ。既に死んでい

          生きてることが重なり合うということは、奇跡やとナチュラルに思う。

          GYAKUSOUという思想

          かなり前のことだが、ナイキのブランドでこんなのを発見した。 "GYAKUSOU(ギャクソウ)"このブランドは、アンダーカバーの創設者高橋盾さんが、ナイキとコラボして生まれた、ランニングコレクションのブランドだ。 俺はこれを見たときに直感的にカッコいいと思った。 だが、それはファッションのデザインについてではなく、思想が織り込まれてそうなGYAKUSOUという名前について。 今、自分はランニングすることを習慣にしている。この習慣のはじまりは、情けなくなった自分に克つを入

          GYAKUSOUという思想

          頑張ってる方が頑張ってないし、頑張ってない方が頑張ってる。

          一般的に努力することや頑張ることは、称賛されるし、偉いことだとされる。 だけど、別にそれはいわれるほどすごいことではない。 なぜなら… 努力や頑張ること自体は、楽だし気持ちいいことだから。 人間は、"前に進んだ"とか、"ちょっとでも成長した"ということを、気持ちいいと思うようにできている。 そして逆に、何もできなかったり、寝て過ごしたり、意味のない日々を過ごしていると感じたときに、後悔するし、自己嫌悪するし、物凄い精神的苦痛を感じるようにできている。 努力や頑張る

          頑張ってる方が頑張ってないし、頑張ってない方が頑張ってる。

          じいちゃんは俺の手の中で生きている

          "スシュンって字綺麗だね。"大学時代、カラオケでの予約をとるあのシート的な紙に、必要事項を記入したときに友人に言われた言葉。 大学に入ってから字を人に見られる機会はなかったし、そう言われることもないから、ビックリしたのを覚えている。 そもそも俺が字が綺麗なのは、じいちゃんに習字を習っていたからだ。 おれはじいちゃん子で、両親が共働きだったこともあり、すぐ近くのじいちゃんばあちゃんの家で過ごしていた。 そしてじいちゃんが書道が好きだったこともあり、火曜と木曜、お習字教室

          じいちゃんは俺の手の中で生きている

          絶望は、その後の当たり前に光を照らすためにある。

          音楽ってすごい。 音楽は、よく聞いていたときの場所を思い出させ、その時の心情や感覚を甦らせる。 おれは去年の今頃大阪にいて、特に意味もなく、この曲を頻繁に聞いていた。 だからこの曲を聞くと、そのときの心情や感覚が事細かに昨日のことのように甦ってくる。 まじで苦しかったなぁって。 なんでこんなになってるのかもわからず、自分はヤバイ人間だと疑ってしまって、気持ちも弱くなっていった。 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせても、どう考えても大丈夫ではない状況を脳みそは誰よりも

          絶望は、その後の当たり前に光を照らすためにある。