絶望は、その後の当たり前に光を照らすためにある。
音楽ってすごい。
音楽は、よく聞いていたときの場所を思い出させ、その時の心情や感覚を甦らせる。
おれは去年の今頃大阪にいて、特に意味もなく、この曲を頻繁に聞いていた。
だからこの曲を聞くと、そのときの心情や感覚が事細かに昨日のことのように甦ってくる。
まじで苦しかったなぁって。
なんでこんなになってるのかもわからず、自分はヤバイ人間だと疑ってしまって、気持ちも弱くなっていった。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせても、どう考えても大丈夫ではない状況を脳みそは誰よりもわかっていた。
そこから気づけば1年が経った。
社会的状況は何も変わってないけど、自分の状況が変わっていることは、そのときのことを思い出せば出すほど、感じれる。
けっこう変わってる。
こういうのは日々生活してるとわからない。
でも確実に1日1日、目に見えないレベルで変わってる。なかなか変わってる実感を得られないながらも、コツコツやることを少しずつでもやり続けると、いつのまにか変わっていることに気づかされる。
なんだかんだ、変わった。
まだまだ一般的にみれば悲惨な状況には変わりはないけど、
おれは、1年前切望した、皆にとっては当たり前の感覚を手にしているだけで、十分幸せだなぁと感じることができている。
今となっては絶望も悪くないなあと思う。
絶望は、その後の当たり前に光を照らすためにある、と強がってみる。
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