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どこかの誰かの、なんでもない日記、愛

ツイッターで「誰かわからない人のエッセイなんて誰も見ない」という言葉を見かけました。

たしかに、何者かわからない人の、出来事や心情を綴ったものは、100万人の興味を惹くものではないのかもしれない。

でも、私はたまらなくそれが好きで、きっと1000人くらいは同じコンテンツを見ている人がいる。
文字や映像を重ねていくうちに、有名になって、何者かになるような人もいる。それでも、顔も本名も知らないから、「誰かわからない人」には変わりないな、と思う。

もう10何年も昔、毎日見ていた個人ブログのサイトがあった。サイト主は大学生の女性で、そのうち就職した。
更新頻度も高くなかったけれど、過去の日記を読み返しているのも楽しかった。好きな本やブログを何度も読み返す性質ゆえ。

そのブログは、サーバーを更新しなかったみたいで、何年も前に見られなくなった。その人が別で運営していた携帯の日記サイトも、いつの間にかなくなっていた。

それらなくなって、私が彼女の文章を見れなくなっても、生活は何も変わらない。会ったり関わりたいわけではなく、コメントさえもしたことがない。

日記が面白いとか面白くないとかは、もはや気にならない。啓発なんてなくても良い。ただ、私は彼女が公開してくれる文章を読んでいたかった。

今でも、私はずっとその人のことを覚えている。たまにサイト名とHNを検索するけれど、もうネット上には跡形もないし、それ以上探したりしない。
どこかで名前を変えて、文章や小説を書いていてくれたら嬉しいな。いつか見つけられたらいいな。

今でもそんな風に、どこかの誰かの、なんでもない日記が大好きになる。文章が落ち着くなと思ったり、SNSとの距離感がいいなと思ったり、自分と境遇や考えていることが似ていたり。
好きになる理由はさまざまだけれど、いつの間にか好きになって、心の中に残っている。ただただ「公開してくれてありがとう」だ。

私も誰かにとって、「どこかの誰かの、なんでもない日記」になれますように。理想として、お昼休憩や通勤中、トイレ、めちゃくちゃ暇なときなんかに、なんとなーく見てくれたらいいな、なんて思ってる。

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