四の五の言わずにプロメアを観ろ、燻っている場合じゃないぞ。|映画『プロメア』

以下ネタバレを多分に含みます。

最初は先週の土曜日の3時くらいのことだった。チケット売り場のパネルには“満席”の2文字。

その次は月曜日。知恵を働かせて、ネット予約をした。定時で上がって見に行くつもりだった。夕方にとんでもない大型案件が舞い込んできて、1時間残業する羽目になってチケットは消し飛んだ。

そうして昨日、やっとありつけた映画『プロメア』は事前の期待を大きく上回るものだった。わかる。みんなが何回も見に行くの、わかるよ。なのでもっと上映回数を増やしてください、後生だから。

『プロメア』を面白いという人たちは、どこに着目して面白いと言うのだろう。甚だ疑問だ。なんてったって頭の先から尻尾まで、徹頭徹尾面白い要素しか詰まってない。

今石×中島タッグか?(グレンラガンもキルラキルも大好き) 作画か?(ローポリ3DCGと色彩の暴力が素晴らしい)グラフィックか?(エンドロールのタイポグラフィはほんとうに素晴らしかった) 音楽か?(5.1chで浴びる澤野弘之はいいぞ) 

全部素晴らしかったけど、私に一番刺さったのはやっぱり冒頭のシーンだった。

燃やさなければ生きていけない

人が発火してしまう突然変異が起きるという冒頭のシーン。ああ、あの人たちは私だ、と悟った瞬間に泣いていた。開始5分のことである。

行き場のない怒りや衝動の大きさに身を任せて炎を吐き、天に向かって吠える〈バーニッシュ〉の人々。それがなんだか羨ましく思えた。ふだんから感情を抑えることを強要されていると感じているからだ。実際私の感受性はかなり豊かな方だと理解している。毎日キレ散らかしている親譲りの気の短さだし、泣き虫だし、楽しくなると我を忘れるし、笑いのツボはかなり浅い癖にそこからなかなか帰ってこない。

でも1日の大半は真面目くさった顔で会社の机にかじりついているしかない。べつに、それが不満というわけではないのだ。社会生活を送る上で必要なことだとはよくわかっている。それでもその重苦しさを「うるせー!」と跳ね除けて、自由に振る舞う快楽に身を任せたいと思うときもある。

毎日が不完全燃焼で燻っている。Vtuberという新しい趣味にハマってからはそう思うことが減りつつあるけれど、グッと我慢する場面もまだまだ多い。

だから「燃やさなければ生きていけない、それがバーニッシュだ」というリオのセリフにはその気持ちを認めてもらったようで、随分救われた。(無闇に殺さない、というところもまた……)泣いた。泣いてばっかりだ。

燃えて消すのが俺の流儀だ

同時にバーニッシュに相対する主人公・ガロの姿勢も、リオの言葉と同様に印象に残った。

彼はひとつも「燃やすな」とは言わない。「火事を起こすのは迷惑だ」とは言うけれど、バーニッシュの存在と燃やす行為は否定しない。彼はただ〈一番の火消し馬鹿〉としてそこにいる。そのうえバーニッシュと対立する火消しのくせに、誰よりも感情のアウトプットがアクセル全開でまっすぐだ。ひょっとしたら我慢して溜め込んでしまう人の方がバーニッシュなのかもしれないけれど。

そうして「燃える」ことを否定しないまま物語を大団円に導いたガロ、ひいては脚本の中島かずきの熱さはとても好ましいと思う。私も彼らの見据えている世界の住人でありたい。

〈完全燃焼〉したい

1回目を見終わったの感想は「〈完全燃焼〉したい」だ。これはTwitterのフォロワーさんの言葉を借りた。燻っている人生も、日々の生活も、プロメアの感想を書くという行為さえ完全燃焼できていない。燃えたい。もっと燃えたい! 燃え尽きたい!!

そういう心の中の熾火に勢いを与えてくれるのがプロメアという映画だと思う。というわけで、まずは時間とお金の許す限りプロメアを観に行って、作品分析みたいなことをして〈完全燃焼〉したいと思う。





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