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トルコ行進曲を聴くとシンバルがジャンジャン聴こえるのはモーツァルトの好奇心と「これカッコイイ!」を受け取っていたからかもしれない話


トルコ行進曲とシンバル

かねてより、私には幻聴に近いイメージの刷り込みがあった。それは
モーツァルトの『トルコ行進曲(ピアノ)』を聴くとシンバルが鳴り響くという現象。

具体的に言うと、後半にかけての最高音を皮切りに
「シャーン! シャーン! シャンシャンシャン!」と鳴るのである。
しかもすごく主役級に。

なんとなく、脳内にはオーケストラ版の印象があるような気はしていた。
けれど、YouTubeなどで確認する限りでは、いうてそんなに強烈にシンバルが鳴っているわけではなかったりする。確かに刻みはコレなんだけど。

フザケたヅラが良い味だしてるな。ずれてる笑

小学生くらいの頃、日生劇場とか帝国劇場などによく連れて行ってもらっていたので、もしかしたら子供向けに盛り盛りな感じの演奏をを聴いたことがあるのかもしれないけれど、もったいないことに、私にはこの頃の鑑賞記憶が素敵なものを観た、聴いたという感動のみしか残っておらず、全くアテにならない。

そこで、モーツァルトが影響を受けたといわれるトルコの軍楽隊『メフテル』の音楽を聴いてみることに。
すると、シンバルや打楽器がたくさん配置されていた。これだ!!

つか、この曲、めちゃめちゃ日本人に馴染みあるやつじゃないか。スライスチーズじゃないか。日本人クリエイターも使いたくなるキャッチーさにモーツァルトが惹かれたのも頷ける。

不謹慎な好奇心

と、このあたりのことを調べていて、無知な私は驚愕の事実を知ることになった。(授業中は刺繍とかしてたのでお察し)
モーツァルト、トルコに攻められてんじゃん!
正確にはモーツァルトは渦中にいたわけではないが。けれどヨーロッパは割と散々トルコ(オスマン帝国)から攻め入られて、ちょっと前までウイーンとか結構な脅威にさらされていた状態。

敵国の音楽にかっこいいとか面白いってなる感覚、なかなかバグってるな。でも社会的にもトルコブームだったというから、日本でもあった戦後のアメリカブームみたいな感じなのかもしれない。

というか自分自身もそうだけど、クリエイティブ側にいるときって、だいぶ不謹慎な気はする。
何年か前、アイドルの衣装が某の軍服っぽいとかで炎上していたけど、私がバンドマンと絡んでた頃なんてあの界隈そういうのブームだったし、当時はパンクも流行っていたからかな、悪いことをすることがかっこいい的な空気もあって、韓流アイドルのTシャツ問題に近いような悪ノリもたくさんあった。こないだヘルプマークで炎上した某ミュージシャンがデビュー間もない頃だったり、尖ってるほど映えた時代でもあった。今とは全然違う時代。

でもいまだに私は不謹慎なのが大好きだったりもする。戦争は良くないという真剣な気持ちと別腹で、戦闘機、軍艦、軍服をかっこいいと思ってしまう気持ちはなくせないし……あとエログロも大好物で、自分でもこの気持ちの挾間でどう処理していいかわからなくなる時がある。

でも、だからというか、音楽家がかっこいいもんは敵でもかっこいい!と取り入れる感覚は、なんかものすごく共感できる気がする。

モーツァルトがオーケストラに与えた影響

このトルコブームによってクラシック音楽のオーケストラ編成が大きく変わっていくようになったらしいのだけど、文献的に多くヒットするところでいうと、モーツァルトのオペラ『後宮からの誘拐』でシンバルが登場する。

序曲からシンバルがシャンシャン、トライアングルがチリチリ、太鼓がドンドン。

参考:モーツァルトの 《後宮からの誘拐》 における 「トルコ風」音楽 著・松田聡http://www.ed.oita-u.ac.jp/kykenkyu/bulletin/kiyou/matsuda29-1.pdf

(論文中ではシンバル、トライアングル、大太鼓のセットを「トルコ打楽器」と記しているみたい)

論文に出てきた曲(トルコ打楽器入りの曲)

アイデアとインフルエンサー

後世には残ってない前衛的で先進的な音楽家もいたとは思うから、モーツァルトが初めて使った! とも言い切れない。でも彼がシンバルを使ったことで、音楽界が動き出したのだろうなと感じる。
ただ彼自身はこの曲のほかにはシンバルもトライアングルも使うことはなかったとのことなので、彼の音楽はひとまず打楽器といえばティンパニーで事足りたのかもしれない。

何年か経って、ハイドンが『交響曲第100番』で再び「トルコ打楽器」を使ったりもするけれど、当時はまだ、トルコっぽさとか、オリエンタル風味な曲を作りたい時だけの楽器だったみたい。

作曲家たちにとって民族楽器的な位置づけだったのかもしれないし、宮廷関係の権威がオーケストラの常連楽器としてトルコの軍隊の音なんて入れるものかと禁じていたのかもしれない、それで民族音楽ですよという建前を使わざるを得なかったとか(そこまで掘ってないので想像です)
その後、ベートーヴェンの第九でドカーンと登場する頃には、民族楽器としてではない、オーケストラに備わっている楽器として編成されるようになったという話が有力そうなので、ベートーヴェンが宮廷以外で活動する音楽家だったという、政治的制約に縛られないポジションとの関係もあるのかもなぁ(もちろんこっちも想像です)

でも何にせよ、いつの時代も、たぶん初めて何かをした人と、それを有名にした人は別なんだろうなというか。いわゆるインフルエンサーでなければ、定着させることはできないのだろうみたいな。

そういう意味で、モーツァルトの好奇心や実行力とかはやっぱりすごい。賛否両論あるかもしれないけど、音楽家は、ひいてはクリエイターは、なんでも取り入れて芸術を前に、未来に進めていったらいいと思う。
ただ、自由には責任も伴うわけで、ときには炎上もするかもしれないから、その覚悟も大事。

だいぶ脱線して上手くまとめられないけど、歴史の中にあるトルコ軍の脅威は怖いけどかっこよくて、それをかっこいいと感じたモーツァルトの頭の中には燦然と鳴り響くメフテル軍楽隊のシンバルの音があって、それがトルコ行進曲の中に組み込まれている、そしてそれを私が音楽の中から受け取って、シンバルが大きく鳴り響く。そういうことなんだろうなという結論に至った。

おわりに、ピアノソナタ第11番もおいておくのでよかったら。トルコ行進曲はこの曲の第3楽章部分。ここだけが有名すぎるのもすごい。


おまけ

ちなトルコからヨーロッパに渡ったシンバルはジルジャン社製だったとのこと。(と、公式が書いてた)ジルジャンってすごい有名どころだけど、当たり前に近くにありすぎてトルコのメーカーだったんだとか、400年の歴史があることは今回はじめて知った。人生はずっと学びなんだなぁと思うなど。


後記
この記事は、けっこう前に書いてまとまらなかったのでボツにしていたものです。でもモーツアルトの誕生日なので勢いで出しました。
軽い読み物として楽しんでいただけていたら嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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