見出し画像

名刺を作った話

15年ぶりくらいに名刺を持った。
小説家と、ライターを名乗るためだ。

少ない実績をかき集めたリットリンクのポートフォリオとQRコードも作って、何年も触っていなかったイラレを引っ張り出した。
テンプレートで作成してくれる業者の2色刷りはQRコードもカラー側だったからだ。黄色系だとコンサート会場等の照明の下でQRコードが読み取れない可能性があったから、それは避けたかった。あと微妙な色味がやっぱり欲しくて。

名刺に適正なフォントやサイズだとか、アウトライン化ってどうするんだっけとか、久しぶりすぎて工程も忘れていたけれど、親しみと信頼を持ってもらえそうなデザインをと頭をフル稼働した。

というか、今なぜ名刺なのか。
私は小説を書いていて、現状ではアマチュア小説家というほうが自分的にはしっくりいっている。
けれど、商業作品やライターとしての企業案件にもいくつか携わりだし、何者でもないポジションでいるには座りが悪いようになってもいる。

ここ2年ほど、仕事がらみで出会った人から名刺をいただくことが何度かあって、その度にこちらの手持ちがない申し訳なさも感じていた。名刺もないのに指揮者インタビューなんて失礼じゃないかとか。

それでも一介のアマチュア作家が『名乗る』など、おこがましいと思ってしまって、かといって気軽にママ友名刺とか推し活名刺を作るのも自分には合っていないと感じて、ここまできてしまった。

この年齢(40代)にもなると、周囲はとってもきちんとしている。会社勤めの人は役職もついていたり、パート勤めのママ仲間たちも資格を生かして頑張っていたり。ので、何者でもない自分が、『この程度』で名乗りをすることが、とても恥ずかしく、そして怖かった。今も。

そうしてやりすごしていた私に、名刺持った方がいいよ、と声をかけてくれた人がいたのが、きっかけになった。認めていただいた、というと大げさにもなるけれど、機会があれば仕事を振りたいから名刺あるといいよ、と言ってくれる人がいるというのは、アマチュアなのか仕事なのかの境目で戸惑っていた私の背中を押すには充分すぎた。

小説家になることを目指し始めたのは2016年の夏。
思い付きでパっと書いてパっとやめたから、そのあと1年くらい間が空いて、17年の12月から再開して、今6年くらいになる。
振り返ると、様々な選択肢で『やる』を選んでここまで来たと思う。

初動は大河ドラマ『真田丸』。
視聴者だけでなく役者、プロデューサーまでもが熱狂する物語を目の当たりにして、こういう(エンタメの)物語を書きたい! と思ったのがきっかけだった。
見て終わるだけじゃなく、あのときどうして書くことを選択したのか、今でもよくわからない。
ただ、育児で出掛けることもできず、趣味の裁縫も針とか片付け忘れがあったら怖いとかでやめていて、何かを始めたかったのはあったと思う。
目の前にPCがあって、文章が書ける、ただそれだけのことだったかもしれない。

そこから地味ながら毎年のように、何かしらの成果があった。
そのどれもが『やる』の選択によって得られたものだ。

推し活を『やる』
小説コンテスト応募を『やる』
果ては、弾けもしないのにピアノコンクールのライター応募も『やる』


『やる』を選んでいなければ、今、まだ私は名刺を作るに至っていないだろう。

コ口ナ禍では実家(パンデミックな東京ど真ん中)に帰れなかったり、コンサートも行けなくなって、子供たちが登校できない日も続き、だいぶ消耗していた。
でもその間に逃げるように貪った音楽たちが、今は小説のアイディアの元になっていたりもする。

そして先日、『ひなた短編文学賞』という文学賞で佳作をいただけるということが起きた。自身にとって初の文学賞受賞だ。(これまでもウェブ上でのコンクールで賞をいただくことは何度かあったが)

奇しくも、名刺を発注した直後の発表だった。
佳作、というのは受賞と言っていいものか少し憚りもあるものの、発表のあとで届いたメールタイトルが『受賞のご連絡』だったので受賞でよいのだと思うことにする。誰もが知るような大きな文学賞ではないが、公募常連勢を含む817作からの選は誇りに思う。

佳作で小説家を名乗ることにはまだ抵抗があるけれど、名刺を発注したあとで落ちていたら、それこそ名乗るのをやめていたかもしれない。

実はこの受賞には強いバックグラウンドがあった。それは私が裁縫をするということ。若いころは服飾の専門学校に通い、ウエディングドレスをデザインする仕事をしていた。デザイナーといってイメージするような表舞台の華々しいものではなく、注文を聞きながらお客様と一緒にデザインをするような仕事。

当時の私は自分のデザインにものすごい自信と凝り固まったプライドを持っていて、お客様からの意見で変更箇所が出る度に勝手に胃を痛め、結局は続けることができなかった。

若かったと言ってしまえばそれまでだけれど、一生に一度のドレスを自分のプライドでどうにかしようなんて、私は本当に馬鹿だったと思う。ドレスも小説も、自分のものではなくお客様のものなのだと、今はそう思う。
とにかく、そのときのことも含め、いろいろな想いを込めて書いたものが受賞した。
まさに選択の連鎖。人生の選択は別の選択によって伏線となるのかもしれないということだと思う。

私は、この文学賞に選んでもらえたことで、自分の選択と人生をようやく認めることができた。

暗い話にもなるが、命を絶とうとしたこともあった。メンタル弱かったので、何度か。けれどなんとか生きて、ブライダルを辞めたあとの私は結構な毒々しい世界に身を置いていて、死んだあとの架空の世界だと思うことでそれすらも楽しんでいた。堅い仕事も、ユルい仕事も、ちょいちょいつまんで生きてきた。

いつかそのときに見聞きしたことを小説にするかもしれないし、しないかもしれないけれど、私がこれまでにしてきた選択は、今の私を作り上げているとようやく前を向けるような気がしている。

名刺の黄色は、そんないろいろが混ざっている私だ。
書いているジャンルもいろいろで、クールな青でもなければ恋愛系のピンク色でもなくて、落ち着いたモノトーンや濃色系でもなければ、ふわふわのパステルカラーでもない。

大好きなタンポポのように、図太く生き残りたいという意味もある。
選択によっては何度か死んでいる身は、強い。

どこかで私と会って、この黄色い名刺を見たら「あ、図太い人だ」とか思ってもらえたら嬉しく思う。


おまけ
マイナビさんといえば、エイプリルドリームの企画で記事にしていただいたことも。
ここでも『芥川賞!』とか言っているあたり図太い。
この記事も、エイプリルドリームの参加を『やる』と選んだことで機会をいただいた。

SNSでバズれる才能も特筆できる学歴も技術もない私にとって、この図太さや選択は武器なのだと思う。

その具現化が、名刺なのかもしれない。
どれだけの武器となるかは謎すぎるけれど、会ったらぜひカードバトルしましょう。とりあえずまだまだ弱いので、倒すなら今かと。


『ホーランジア』創作大賞2023にも参加しています!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?