サルベージ

私は助けを求めているんだろうか。


悩んでいることを人に相談したことがない。

なんかそういうのっていつ切り出せばいいかわからないし、相手だって私の話をお酒のつまみにしても楽しくないだろうし。
せっかく私と飲んでくれてるんだから、楽しくないと申し訳ない。
そう思うのは、もしかしたら私も人の話を聞いてる時にそう思ってるのかもしれない。
なんて薄情なやつ。

私は頭の中でちゃんとした話を整理するのに時間がかかる。
口からのでまかせや屁理屈はいくらでも出てくるのに。
だから人と話すときは大抵、脳みその一部分でほとんど無意識に組み立てたデタラメな話をしてるから、言っておきながらそんなこと一ミリも思ってなかったことに、次の日気づく。



それに人に話してどうなるっていうんだ。相手だって私と同年代の、おんなじような価値観の人間で、だとしたら話したところで解決になるなんて思わない。
どうせ、聞いた話は誰かに伝わって、秘密なんてなくて、引かれるような悩みなんかを話した暁には今後のおつきあいを遠慮されて終わりだ。



こんなに今日、キーボードに叩きつけるみたいに打つ文章がトゲトゲしているのに、理由なんてない。
理由のない1日なんてない。
だから理由なんてない。


私は今日、多分イライラしてる。


気の利く、気配り上手で優しい、道徳的倫理観を持ち合わせた友達が、私のことをとても大事にしてくれている。
こんな人としてちょっと.......って感じの私のことを、何度もなんども落ちるたびに拾い上げてくれる。
ありがたい、と思う場面だと思う。だってきっとありがたいんだ。こんな友達他にいないんだ。


でも今は会いたくない。拾い上げられたくない。このまま下の方まで行って、ああこんななのか、って知らなきゃいけない気がする。
これもまた得意の言い訳に踊らされてる気もするけど、ここを逃したら私は一生このままなんじゃないかとも思う。


私はかなりダメな方の人間だ。
でも、ダメじゃないように振る舞える。いかにもきちんとしてるように見せることができる。
それを快感に感じる時もある。



友達は私のことを、きっと多分十中八九、かわいそうな、寂しい人間だと思ってる。知ってる。知ってる。
でも私に優しくしてくれるのは、ありがたいことだから。
ほんとは私に会ってる時間なんて、もっと仲のいい友達に会いたいだろうし、やりたいこともあると思うのに、それでも私のために時間を使ってくれる。



私が助けてのサインを出してしまっているんだろうか?私が既読しないから、または既読後の返信が遅いから、または私の言葉の使い方が、助けを求めてるんだろうか。


誰にも何も言われないで、一人で暮らしたい。ずっとじゃなくていい、ほんの一ヶ月だけ。

それでどうにかするから。どうにかさせて。一人にしてほしい。
いつも一人じゃん、っていうけど、そうじゃないんだよ。そうじゃないんだよ。そうじゃないの。何もかも遮断して、一人で音のない空間で考えたい。
私にはそれはすごく集中力のいることで、だって今日の服すら決められないんだ。

ごめんなさい。

でももうどこにも行けない。


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どこか遠くに行きたい、と思うけど、どこか遠くに行ったらそこはどこか遠くじゃなくなって、かつて旅立ったはずの場所がどこか遠くになるだけだ。

でも私はまだ子供だから、どこか遠くはどこかに存在してると思っている。

それはそこに行く手段をまだ手に入れてないから。


私はどこにも行けない。

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