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平成最初の握手と平成最後の握手と記憶の曖昧さ

平成から令和になった。昭和から平成になったことを体験した自分からすると新年を迎えるような流れは今一つ違和感があるのは否めない。こんなことを言うのは懐古主義だと言われるだろう。とはいえ、間違いなく新たな元号になり新たな時代が始まった。

このnoteでは、ある元アイドル候補生について書き連ねてきた(とはいえ、たった2回だが)ので、折角なので「アイドル」のアウトプットの場として使っていくことにする。

記憶を辿っていく

先日、ふと「平成最初に握手をしたのは誰か?」と考えた。まず最初に浮かんだのは相川恵里だった。


彼女はロッテが主催するオーディション「ロッテ CMアイドルはキミだ!」の2代目のグランプリを受賞した。(ちなみに準優勝者は今も活躍している島崎和歌子である)それまでのアイドルは、テレビや雑誌の中だけでその存在を見て何とも言えない感情を抱いていたものだったが、自分の目の前に初めて存在として確認をした「アイドル」が彼女だった。

しかし、残念ながら自分が彼女のイベント(東京の赤羽で行われたファーストシングル「ABコンプレックス」のリリースイベントだった)は昭和63年であった。つまり平成の前である。これを改めて確認をした時なんとも言えないときの流れを感じた。なぜなら、まだこの頃は昭和天皇のご病状についてそれほど深刻に取り上げられた訳ではなく、自粛ムードというものもなかった記憶がある。

そうなると、誰なのか。

この時期、学校の同級生でアイドル好きがつるんで(僕も含んで全員今でいう陰キャである)各々の推しているアイドルのイベントなどに通っていた。もちろん、その頃「推し」なんていう形容詞は無いし、今みたいに誰もがアイドルになるなんてことはなく、何らかのオーディションや大手事務所のスカウトを通じて世に出る。もちろんネットも無いため、スケジュールを知るにはアイドル雑誌の「BOMB!」や「オリコン(チャート以外にもアイドル情報が豊富だった)」程度。もちろん、アイドルともある程度の距離があり、親衛隊なども存在していたので言われているような、ファンとアイドルが繋がる「厄介」も存在していなかった。(一方でアイドルの家に入り込み、暴行しようという事件などはあった。)

握手会システム

ここで、当時の握手会について説明をしておこう。
当時はCDに本体に握手券やイベント参加券が付いているというのは稀であり、各イベント会場(主にCDショップ)でCDを購入すると整理券が発行される。それをもとに並ばされ握手をするというものだ。使えるのは1回の握手につき1枚。複数枚持っているならば改めて並び直すので、「まとめ出し」をして時間がプラスされるということは無かった。
握手そのもの関してもほぼ流れ作業で、48グループなどの「全国握手会(以下:全握)」よりも握手の時間短く、一言何か言える程度(なので1秒程)だ。その上係員に背後のベルトを握られ強制的に横に流されるという始末である。これを体験した自分からすると48グループの握手会の方が数段親切だと感じている。当時のシングルは1,000円なので今と殆ど変わらないのにこの有様だった。

当時は中学生なのでイベント会場に行くだけで精一杯。とても会場でCDを都度都度買うなんていう余裕はない。とはいえ、イベント会場に行けば歌とトークのミニイベントを無料で見ることはできる。だから現場に向かうのだ。今で言う「最前管理組合」も無ければ、何かあれば怖い「親衛隊」がやってくる。その親衛隊も基本は観客席の後ろの方に陣取っている。

そんな感じで、僕らはほぼ都内の主要なイベント会場には行っていた。今でもあるサンシャインシティの噴水広場、ラジオを公録をやっていた川崎アゼリア、銀座三越の屋上、市川のニッケコルトンプラザ、新宿NSビル、飯田橋ラムラ、などなど。逆に今で言う「インストアイベント」は本当に少なかったと記憶している。

話を元に戻そう。

翌年同じコンテストで優勝した山中すみかは、アイドル好きの一人が推していた。が、デビュー直後にイベントに行った記憶が全く無い。記憶に残っているのは3枚目の「春 花ざかり(1990年リリース)」である。

結果として平成元年に握手した(と思われる)アイドルは思い出せず。明確に握手したと思われるのは今も声優・歌手として活躍している宍戸留美だ。とはいえ、記憶の状況を辿る形だが…。彼女も上述した相川恵里、山中すみかと同じ「ロッテ CMアイドルはキミだ!」の4代目のグランプリ(この回が最後)であり、楽曲を聞いて一気に引き込まれて現場に行きまくった。しかし、これは平成2年だ。(宍戸留美のセカンドシングルは「ナクヨアイドル平成2年」である)
もう一人可能性があるのは、中山忍だ。姉はもちろんあの中山美穂。歌唱力については色々意見があるが、独特のマシュマロボイスに惹かれた。その6枚目シングル「光のオペラ」のイベントに行った記憶がある。しかし握手をしたかは明確に記憶にない。

ということで、個人的に平成最初に握手をしたのは宍戸留美ということにした!

一方で平成最後に握手をしたのはHKT48小田彩加だった。

令和最初は…。これは別の機会に書こう。

noteが次の元号に変わるまで残っていたらこんな記憶を辿ることは無いだろうが、あまり期待をしていない。記憶は曖昧の方が綺麗ということも多々あるからだ。

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